My Note ひめゆり退屈問題
2005.6.13

ひめゆりの「退屈」試験問題について、いろいろ報道されている。
掲示板では相変わらず独りよがりの意見が氾濫している。自分の意見に反論されたとたんにムキになって、情けない言い争いが続いている。
退屈と感じるのは個人の自由だが、正解のある試験問題にしてしまったのはやはり不適当だったと言えるだろう。

戦争体験を語り伝えることで平和の大切さを教えようとすることは、本当に大切である。それは命の問題であり、また誰でもできることではないがゆえに「尊い」とも言われるだろう。
しかしそれに否定的な意見に対して「そんなことを言うのは許さない」と問答無用でつぶそうとするのもどうかと思う。今の世の中は、尊かろうが何だろうが、常にスパイラルアップしていることが求められるのである。

そういった中、報道によればひめゆり学徒の津波古さんが「今までやってきたのは何だったのか」と憤る一方「わたしたちの伝え方が悪かったのか。もっと工夫しなければならない」と述べられている。
それこそ命をかけて語り伝えてこられたことと思う。その命がけの行為を否定されたようなショックだろうに、それでも同時に「これでいいのか」と自らに問いかけることのできる津波古さんは本当にすごいと思う。 


2005.6.13 ブログに掲載