My Note 人のタイプ
2003.10

人はみんな幸せになりたいと思って生きているとして、現状が理想と異なっている状況に際してどう行動するかという点で、人には大きく3つのタイプがあると感じる。

1つは、そのような状況を作り出している原因となるものを、自分の力で変えようとするタイプ。
「原因」はたいていシステム・制度であることが多いので、自分の力でそれを変えようとするためには、政治家になるのが最も近道である。
結果、そういうタイプの人は政治家になろうとする。あるいはそれに近い形で、要は権力を握ろうとする。

もう1つのタイプは、目の前の現状を、自分にできる範囲で改善しようとするタイプである。
ボランティア・NPO活動などに至ることが多いようである。

3つ目は、不満をもちつつ何もしないタイプである。その問題が自分にとって重要でなければ、わざわざ政治家を志したりボランティア活動を始めたりする必要はないので、これが大部分であろう。たとえその問題が自分にとって重要であっても、不満をためこみつつも何も行動しないという人は多数派であろう。

これら3つのタイプについて、PTAやボランティア・NPOといった、子どもの健全育成関連活動に着目して、特徴と問題点を具体的にみてみたいと思う。

政治家タイプは、PTAにけっこう多い。子ども達の置かれた現状が必ずしも理想に近いとはいえず、もっと政治は教育に重点を置くべきだと感じ、政治家を志す。
なお、中には最初から政治家になるためのステップとしてPTAを利用する輩もいる。「○○市PTA連合会会長」などといった肩書きがほしいがためである。こういう下衆はここでは考えない。
こういう政治家タイプが「手段の目的化」に陥ると、自分が権力を持つこと、政治家としてステップアップしていくことが目的になってしまう。自分が力を持つことが結果として子どものためになると思っているから、途中で多少の非道徳的なことをしても「必要悪」として自分自身を納得させてしまう。
悪役レスラーであるタイガーマスクが孤児院を援助していたとか、ヤクザなど非道なことをしている人間が裏では慈善的なことをしていたという話に日本人は弱い。それに、汚れたカネでもカネはカネ。それを子どもに役立てることはできるだろうというわけである。
たとえそうだとしても、そういうやり方には賛成できない。
なぜかというと、偏っているからである。たとえ子ども達のためにはなっても、その過程で世の中のためにならないことをいっぱいしていれば、結果的に子ども達のためにはならない。世の中の森羅万象は相互に関連しているから、一つのことを大事にして他のことにしわ寄せをかけると、結果として大事にしたものまでおかしくなってしまう。単純には教育予算偏重で経済活動がおかしくなり、失業者が増加して、このため高等教育を断念する子どもが増える、などのことである。あるいは学校教育に注力する一方で地域づくりをおろそかにし、結果的に子どもの生活体験の場が少なくなってしまうなどである。
もちろん「モラル的に許せない」ということもあるだろうが、やはり一つの目的のために他を犠牲にするというのはよくないと思うのである。

さて、たとえ政治家タイプが制度を変えてくれるとしても、子ども達は待ったなしで成長していく。この目の前の子ども達に何かできることをやろうという人たちが出て来る。ボランティアタイプであり、その中のより行動的な人は自分自身でボランティアグループやNPOを立ち上げる。やや消極的な人はこういった活動に協力し、着いて行く。
政治家を志すまではできないのでボランティアでも・・・・という人はちょっと困り者である。なぜかというと、本来やりたいことがボランティアタイプではないからである。何か行事を持って、子ども達に集まってもらい、一緒に何かをして楽しみ、子ども達に何かを与える。そのことでは満足感は得られない。なぜならそんなことをしていても世の中のシステムは変えられない。フラストレーションが溜まる。そのうち、子どもそっちのけで世の中を変えろ的演説ばかりぶちかますようになる。あるいは政治家とのかけひきに血道を上げる。最後は結局政治家になったりもする。それなら最初からしろよ、俺たちを踏み台にするなよと言いたくなる。
ボランティアタイプでも、手段の目的化はある。活動をすることそのもの、あるいは組織を継続することが目的になってしまうのである。
これは比較的簡単に見分けられる。
新しい活動への参加を提案したときの対応を見れば一目瞭然である。本来の目的が実際の目的でもある場合は、その目的に合致したものかどうかで参画するかどうかを決める。合致していれば、比較的身軽に参画してくる。
しかし組織継続が目的化していると、忙しいとかあれこれ理由をつけて参画しない。忙しいとか何とかいう以前に、情熱が感じられないから、嫌がっているのがすぐにわかる。なぜかというと、新しい活動への参画は組織の維持継続には無関係だからである。組織を保つためには、年中行事をいかにしてこなすか、ちゃんと実行できるかがポイントなのである。実は多くのPTAや子ども会はこれだと思う。最初にPTAありき、組織がある以上、会費をもらっている以上、何か活動をしなければならないという順番で活動が決まっていく。対して多くのボランティアは逆である。何かしたいことがあって、それを実現するために組織が作られている。年中行事の繰り返してあることを問題視しているのではない。何も考えずにやっていることを問題視しているのである。「そもそもPTAは必要なのだろうか?」というように原点に返って考えた結果としてやろうということになった行事が年中行事であれば、それはそれでいいと思うのである。

最後の何もしないタイプは、「自分からは何もしない」だけで、協力はしてくれる人も多くいる。また、参加しないまでも見守ってくれる、あるいは社会の中での活動を容認してくれるという形で支持してくれる人も多い。
問題は、何もしないくせに口ばかり達者な輩である。「何もしてくれない人が文句も多い」とはよく聞かれるセリフである。
世の中のあり方、人としてのあり方などを営々と論じるが、全て机上の空論、あるいは自分ひとりの狭小な経験だけに立脚して論じているため、非常に薄っぺらい。そんな弁に乗ってしまったらろくなことにならないのだが、本人はそうするべきだと本気で思っているので始末が悪い。さらには「なぜお前たちは俺に同意しないのか。俺の考え方を受け入れないのか」と怒り出す始末である。
実際に行動してみると、全く同じ考え方の「同志」だけでは何もできないことはイヤと言うほどわかる。共産主義国ならいざしらず、ここは自由主義国家であり、価値観の多様性を認めている。今やっている活動が実行できているのは、その活動の主旨に賛成するという一点だけにおいてである。「山に木を植えて豊かな森を作ろうというこの活動に賛成するからオレは今日の植樹イベントに参加した。オレは仏教徒でオマエはキリスト教徒だ。オレはリストラ論者でオマエはワークシェアリング論者だ。オレは天動説でオマエは地動説だ。だけど今日の植樹イベントはオマエと一緒に活動する」というわけである。
自分の主義主張に反するものを排除し続けていると、一緒に活動できる人はいなくなる。当然友達も少なくなる。社会的には役に立たないので、ほうっておかれる。結果、「わかってくれなくてもいいや」となって、いよいよ自分の言いたいことだけ言うようになる。下手をすると精神的引きこもりが始まる。

このように、政治家タイプで自分が政治家であることが目的化してしまった人、ボランティアタイプで組織維持が目的化してしまった人(団体)、何もしないくせに主張だけする人、これらが問題である。
ではどうすべきかというと、そういう人達を見分け、うまく遠ざけるか、あるいは利用するのが一番だと思う。
こういう人を改心させようなどは徒労にしかならない。自らを省みる機会など日常生活の中にいくらでもあるのにそれをしていないのは、自分こそ正義だと思い込んでいるからである。こういう手合いに何を言ってもムダである。
といって、排除すると怒るから始末が悪い。組織に取り込むと、とたんに自分の主義主張だけで押し通そうとするから、野放図にもできない。つかず離れずでうまく操縦する度量が運営者に求められることとなる。


ボーッと考えたことをメモ。(2003.10.20)