My Note スマトラ島津波
2005.1.10

治山治水ということ

スマトラ島津波は、未曾有といってよい被害を出した。多くの亡くなられた方に合掌。
災害情報伝達システムや住民意識など、日本であればもう少し被災は軽微だったと思われる一方で、他山の石として防災システムを見直さなければならないことも多くあるだろう。
津波の高さは、これまでの大津波の記録に比べればさほどではない(アラスカでは高さ500mという津波もあったらしい)が、南国観光ビーチを襲ったことで被害が甚大になったようだ。
明治三陸津波のような高さ40m近いものはともかく、今回のような津波であれば、防災工事により被害をかなり抑えることが可能だったのではないかと思う。現に、日本のODAによる防波工事で事なきを得た地域もあるようだ。さらに防災情報システム、住民の意識と訓練が加われば、被害はさらに抑えられるだろう。

相次ぐ台風による水害・土石流災害、新潟中越地震に伴う様々な被害など、自然災害の恐ろしさを国民は痛感した1年であったと思うが、治山治水の重要性が再認識されたのではないだろうか。
実際福井県では必要性の是非が議論されていた足羽川ダムが、福井豪雨を受けて一気に実施の方向に傾いているようだ。これを「災害を逆手に取った行政の狡猾な作戦」と見る向きもある。何かをきっかけにすぐ感情や雰囲気で一方にダーッと流れてしまうのが日本人の悪い癖だが、ここはこれを機会に、客観的にじっくり話し合うことが必要だろう。「作りたい」「作りたくない」といった気分・感情をベースにして、その正当化のために理論武装をするのであれば、それは世のため人のためではあるまい。
個別ケースはともかく、治山治水はやはり生活の基盤のさらに基盤だ。雨が降れば溢れるような川を放置してインフラ整備もあるまい。「もっと便利に」を考えたインフラ整備を手控えて、治山治水などの生活の安全確保のための投資を重視する方向になってくるのではないかと思う。それとも、喉元過ぎれば・・・・になってしまうかな?
治山治水といったが、そのあり方も変わってくるだろう。これまでの力で押さえ込むようなものではなく、災害と付き合う、川と付き合う治山治水だ。

福井豪雨では、たとえば周囲からわずか30cmほど高いだけの農道が、一時的にかなりの水をせき止めていたことがわかっている。また福井市内を貫通するJR盛土がやはり水をせき止めていたものの、何箇所かのアンダーパス部分を通ってJRを越えて浸水地域を広げていたこともわかっている。
また、現代の家が床下浸水・床上浸水に会ったときにどうなるかということも、今回の水害は教えてくれている。今の家は壁に断熱材を入れるが、これが水に浸かると吸水して膨張する。ある小学校ではこのため壁に微細なクラックが一面に入って、壁を全面改修することになったそうだ。床下浸水でも、フローリングだと畳のように床が簡単にめくれないから、床下がいつまでも乾かず、柱が腐ったり臭いが取れなかったりする。平たく言えば、今の家はいったん水に浸かるともう無事ではすまない(多額の修繕費用がかかる)ということだ。
これまでの「越流や決壊を起こさない対策」は、逆に言えば「越流や決壊が起こるような豪雨があったらもうお手上げだもんね」というものではなかっただろうか。「たとえ越流や決壊が起こっても、その被害を最小限に食い止めるための対策」をいろいろと講じることが非常に大切であることを、今年の水害は示している。
川幅を広げる、河床を下げる、護岸を高くする・・・・そういったことももちろん大切だが、「溢れてしまった後」の対策も講じておく必要があるのではないだろうか。「管轄」ということにこだわらずに。
特定都市河川法などはまさにそういった考え方がベースになっていると思う。この制度が、遊水池などを受け持つ自治体と都市部の利害関係だけに矮小化されてしまわないことを祈るばかりだ。


行く川の流れは

スマトラ津波でもう一つ感じたことを。
誰もが感じるように、人間は自然の前にあまりにもか弱い。人間以外の生き物たちも同様にか弱いのだが、動物は危険を察知して避難したという。
地球は生命を宿した稀有な惑星だが、これまでの歴史の中で数え切れない生き物を殺してきた。数回の大絶滅はとんでもない数の生き物を、個体レベルではなく種レベルで抹殺してきた。
自然のもたらすものは、たとえば雨や川など「水」が典型的なものだが、少ないと生き物はバタバタと死ぬし、多すぎるともっと死んでしまう。「生きられる範囲」というのが限られているのだ。
そういった微妙なバランスの中で、生き物はとにかく種を絶やすまいとする。理性や知恵のずっと下層のほうから聞える「生き延びよ」という命令に突き動かされる。
人間は種の保存以上に個体、すなわち自分自身や自分の肉親の生命を大切にしているようにも思えるが、貧困国の状況を見ると、やはり人間も動物だと感じる。高い乳児死亡率に負けない高い出生率。現地に勤務した大学の同級生は「援助すべきは食物よりコンドームだ」と言っていた。どんどん死んでいく。それならばとどんどん生む。またどんどん死ぬ。一つの地獄と言えるかもしれない。しかしそれが生き物としての本能に突き動かされているのなら、それもまた自然である。(そういう状況を肯定するわけではない)

わらわらと湧くように生まれてきて、短い生涯をわらわらと忙しく、貪欲に過ごし、わらわらと死んでいく。地球サイズの時間・距離スケールで見れば、まさにそれが生き物の姿だろう。まさに「行く川の流れは・・・・」であり、それは哀れでもまた愛しくもある。
小松左京の視点はまさにそういうところにあると思うし、手塚治は「火の鳥」でそれを主たるテーマの一つとした。私は地質学を学んできたせいか、超長尺的タイムスケールにあまり違和感を感じず、そのためか、そういった感じ方・視点は非常にすんなりと自分の中に入ってくる。


2005.1.10 ブログに掲載