My Note 太鼓を叩いて手が痛い
2005.2.21

久々に太鼓を叩いてきた。といっても短いステージで、その上我々の太鼓はいわゆる「和太鼓」とは違って、重いばちを使い腰を入れて全力で打ち込むので、1分とは続かない。で、一つの太鼓を順繰りに叩く。
というか、複数の太鼓を同時に鳴らしてアンサンブルを奏でるという奏法は、戦後作られたステージ用の奏法で、もともとの「祭り太鼓」にはこのような「複式複打」はない。
和太鼓はみんなで演奏できるので私も好きではあるが、伝統の太鼓はまたそれで大切にしたいと思うのである。

祭り太鼓(というか、古来より伝承されてきた太鼓)には様々なタイプがある。
典型的なのは雨乞いで、太鼓は縦に置く。すなわち皮の片面を底にして、もう片面を上に向けて、上から叩く。このとき、ばちは皮を叩いたあとまっすぐ天に向かって伸ばす。これは竜神に雨を降らせよとメッセージを送るものとされている。
これを複数で打つ場合もある。能登半島に伝わる、鬼面をかぶって叩く御陣乗太鼓などはこれである。
水平にして高い台に載せ、オーバースローで叩くのもある。また胸や腰の高さにして前後から二人で叩くのもある。

我々の地域に伝わるのは、「練り歩き」の太鼓である。これは、太鼓を棒の下につるし、籠を担ぐようにして持ち歩き、これを片方から叩くものである。
目的は様々で、感謝祭(収穫など)、祈願祭(豊漁・豊作)、虫送り、葬式などがある。昭和40年代には練り歩き型の葬式の必需品として日本各地で見られた。
我々の地域に伝わるのは漁師町の豊漁祈願祭の太鼓で、掛け声も「ホーリョー(豊漁)、リョーリョーリョー」という。江戸時代初期に作られたものらしい。
現在では(というか、明治以降は)担いで歩くなどという力仕事はせず、台車に載せて歩くようになっている。これなど京都祇園祭の影響を強く受けるわが町らしい変化である。
台車に載せ、2日間かけてかなりの距離を練り歩く。交代で太鼓を叩くが、さすがに2日目には手の皮がむけはじめる。全員テーピングをして、その上から手袋をするのだが、それでも皮がむける。
5月の連休をつぶして毎年毎年こんなことをやっている。それも4月の頭から毎晩毎晩練習をしている。毎年4月は、夜はほとんど太鼓のためにある。私も4月だけは残業もそこそこに飛んで帰る。社長もあきらめている。
毎晩酒を飲む。飲めば深夜になる。さらに間の悪いことに4月に成人病検診があるので、毎年脂肪肝の診断である。
子どもたちも毎晩集まる。小学生は集まるのが楽しくて飛んで回り、近所の母親は会話に花を咲かせる。中学生になると大人の演技に仲間入りして、夜10時までつきあう。祭り本番では少々悪いことも覚える。高校生ともなれば祭り本番で酔って千鳥足などというのも出てくる。卒業の年には歓迎会である。二次会では「大人の世界」も垣間見る。
良いの悪いの、地域教育がどうのとムズカシイことは関係なく、とにかく老若男女入り乱れてどわーっと駆け抜けてしまうのが祭りの一ヶ月だ。


2005.2.21 ブログに掲載