西安紀行2005

〜その1

2005.6.23

眠いって!
 小浜市が中国・陜西省西安市と交流関係を結び、友好都市となったのは昨年9月のことである。人口3万人ちょっとの小浜市が、人口710万人を擁する西安市となぜ交流などできるのか、というと、小浜市も西安市も奈良市と姉妹都市であり、奈良市が西安市に小浜市を紹介してくれたらしい。
 で、昨年に交流関係を結んだのをうけて、今年は市民使節団を派遣しよう(派遣と言っても自費なんだけどね)ということになったらしく、市民に参加公募をしたのである。実は私は応募していなかったのだが、地区のまちづくり委員会が知らぬ間に応募していた。「おい、オマエの分も応募しといたぞ。自費13万円な」って、おいおい、あんたらは新手の振り込め詐欺かというような展開だが、まあ悪くもないなと思って私も応諾したのである。
 さて、当日。朝は何と4時に集合、そのため3時起床であった。こんな時間に起床するなんて、記憶にない。こんな時間に帰宅した事は何度もあるが・・・・^^;
 総勢70数名、バスに分乗してうつらうつらしながら関空へ。10時のフライトで北京へ、さらに乗り換えて西安へ。国内線の遅れなどもあって、到着は現地時間で5時近かった。時差は日本の1時間遅れなので、日本時間にすると6時。14時間かかって着いたことになる。うーん、これはかなりつらい。

パトカー先導
 空港ロビーに着くと、現地スタッフ(西安の外事弁公室というセクションらしい)が出迎えてくれた・・・・と思っていたら、突然の歓迎行事で子供達が花束をくれた。おーすごい、大した歓迎だあと思っていたが、それどころではなかった。
 やがて全員が3台のバスに分乗して走り出すと、なんとパトカーがパトライトを回して先導しているではないか。わー、すごいすごいと見ていると、遅い車がいるとサイレンを鳴らして蹴散らし、赤信号でもサイレンを鳴らして突っ込み、あげくにラッシュと見るや反対車線をサイレンを鳴らして逆走までするではないか。バスはバスでパトカーとの間に割って入ろうとする車がいるとクラクションをガンガン鳴らす。
 な、なんなんだこれは。市の公式の訪問客であることには違いないが、ここまでしてもらっていいのだろうか。いや、こんなことをしても許されるのだろうか。しかし、我々の常識を超えた「特別扱い」はこんなものではすまなかったのである・・・・


西安到着
 道すがらの光景が面白い。山が見えない広々とした台地に、小麦畑が広がる。山と平地の境界がはっきりしない。日本のようにくっきりと山が立ち上がっていないのだ。典型的な老齢期の地形というやつか。
 木も比較的まばらだし、うっそうとはしていない。年間雨量は600ミリ程度で、日本よりはるかに少ないという。なお、6月の西安は猛烈に暑く、気温40度に至ったりする。空港を出たとき、「信じられない!」と思うほどの熱気であった。
 どんな熱気かというと、夏の暑い日、エアコン室外機の前を通り過ぎる時の熱風があるでしょう。ずっとあの熱風の中にいるような感覚である。室外機が前後左右を取り囲み、こちらの移動に合わせてついてくるようなものだ。うーむ、書いていても暑苦しくなってきた。ただ幸いな事に湿度が日本ほど高くはないので汗だくになったりはしない。カラカラというわけでもないが。
 なお、翌日知ったのだが、この日の気温は41度を超えていたらしい。生まれてこのかた体験したことのない気温である。信じられなかったわけだ。

 高速道路は、広い平地をずーっとまっすぐ起伏の少ない道路が続く。これなら設計も単純だし、構造物も不要、普通に土羽で積んで舗装するだけだ。橋は川をたまに渡るときとインター程度。この橋脚がやたらと細い。地震がないのだろう。これは香港でも感じたことだ。トンネルもない。結局、西安滞在中はトンネルというものを見なかった。
 

やがてバスは西安市街の外れにさしかかる。レンガ作りの古い建物と、ラフな格好の人達が屋台で何かを食べていたりして、私の大好きな光景が続く。生活がそこにある。
 こういった建物も、地震も台風も来ないからずっと簡単でいい。昔のレンガ作りの建物や、掘っ立て小屋(屋根は乗せてあるだけ)でも住める。レンガを積むときの接着は、石灰と水、それにもち米を混ぜるという。それでもずっと使える。
 とどのつまり、インフラ整備に要する金が少なくて住むわけだ。中国の急速な発展、特に交通インフラの発達は、こういったことと無縁ではあるまい。
 市内に入ると、近代的なビルが目に付くようになってくる。道路も広く、車も多くなり、おー、さすが人口710万人、近代都市じゃないかと思っていたが、なにか違う。
 片側2車線の整備された道路を車がばんばん通る中、単車や自転車、さらに大八車を引いた人が行きかい、それらの間をすり抜けるように人が行きかう。道端には近代的なビルに挟まれてレンガ作りの小さなビルが残り、歩道の上でラフな格好のおじさんたちがなにやらゲームのようなものをやっている。
 街全体に何ともいえない混沌を感じる。近代化がまだ全体にいきわたらず、いろいろなものが混在しているのだ。
 うーん、これって大阪動物園前の、フェスティバルゲート南、太子交差点界隈に似てないか?とわけのわからないことを感じてしまった。

 西安市内は近代的な建物が多くなるが、古都・西安ならではの光景として、古い建造物との同居がある。京都と似たようないメージだ。ただ、いずれも石作りのせいだろうか、京都のビルと木造寺院の組合せよりはしっくり溶け込んでいるような気がする。
 西安の最大の特徴はやはり城壁だろう。長安時代の中心市街地を囲んでいた城壁がそのまま残っている。近代的な光景の向こうにずっと城壁が続く。思えば、中国はこのようにして町を丸ごとすっぽり城壁で囲うことが当たり前であったのだ。中国人の持つタフネスさ、狡猾さは、多大な労力をかけてこのような城壁を作らないと街が維持できないような歴史の中で育まれてきたものであろう。島国・日本など手玉に取られる道理である。

 西安でのホテルは全日空ホテルである。ホテルに着くと、今度は吹き抜けロビーの壁に熱烈歓迎の横断幕だ。いやー、曲がりなりにも使節団だけのことはある。


椀子ギョウザ?
 ホテルで一休みする間もなく、夕食へ。西安は餃子が有名とのことで、「餃子宴」と銘打って、餃子尽くしに近いものであった。
 まるで椀子そばのように、次々と蒸し餃子のせいろが出て来る。一口サイズのミニ餃子であるが、せいろが10皿以上出てきて、最後は山盛り水餃子。もうお腹パンパンである。これでビールがキンキンに冷えていたら言う事なしなのだが、「もともと冷やすという習慣がないらしい」と誰かが言っていた。
 そして食後には「民俗芸能鑑賞」。しかしこれは歴史ネタと中国音楽を使ったダンスショーであった。期待していた民族楽器も出ずじまい。ただ、「唐は中国の誇り、中華1000年の栄光」みたいな歌詞に、「中国のナショナリズム」を実感した(否定的な意味で言っているのではないので念のため)。
 さて、今日はヘトヘトである。もう寝るとしよう。