西安紀行2005

〜その4

2005.6.26

突っ走る中国
 中国最後の日、今日は何と言ってもこれだろう!というので万里の長城へ行く。よくよく考えてみると、交流夕食会と入城式以外はベッタベタの観光ツアーである。^^;
 万里の長城へ向かって高速道路を突っ走る。どれだけ出ているのか、すごいスピードだ。車線変更を頻繁に繰り返し、もちろんウィンカーなど出さない。周囲も同様で、みんなカマキリ運転だ。前に遅い車がいるとクラクションをがんがん鳴らす。
 ガイドの黄さんの説明によれば、1999年まで車はごく一部の金持ちしか買えなかったが、それ以後一気に車社会に突入し、今では日本とほぼ同数の車が走っている。交通事故死者数は年間10万人、日本の10倍以上である。そうか、人口10倍だもんな、と思いかけたが、ちょっと待てよ。車の数は日本と同程度なのだ。ちょっと空恐ろしくなる。
 自転車から車に乗り替えるようなものだから、同じ感覚で運転するんだとのことである。「自転車は隙間があったらどんどん入るでしょ。車でも同じことをするんですよ。」
 また、急激な車の増加で、ラッシュが一気に深刻化しているらしい。交差点に信号はあるが、歩行者は関係なしに渡るし、車のほうも整然と並んで走るなどということはしないだろうから、なおひどくなるのだろう。交通システムがルールとしてもモラルとしても定着していないのに車ばかり増えるから、ある意味当然の帰結である。そんな中、「ラッシュ産業」なるものも生まれているらしい。停車している車に物売りが来るのだ。地図売りなどはかわいいほうで、マッサージまでいるという。「次の赤信号まで」なんて条件で値段交渉をしているとのことだ。
 さらに都市部での建築ラッシュがものすごく、これが鉄不足、鉄の値上がりを引き起こしている。

 社会はそんな突っ走り状態にあるというのに、中国の人はゆったり仕事をする。昼寝の習慣もあって、昼になったら家に帰る。弁当という習慣はないそうだ。そして昼食を食べ、昼寝をして、2時ごろ出てくる。では就労時間は必死で働くのかというと、2人働いている横で3〜4人がタバコを吸っている。さらに週休2日である。建設産業であろうがなかろうが、社会主義国で土曜日に労働者を働かせたりしたらえらいことである。どうも最近の中国人のイメージとして、がつがつしたイメージがあるが、なんのなんのはるかにゆったりしている。車の運転だけは別だが・・・・

 途中、七宝焼の店に寄った。銅の壷に、ベビースターラーメンよりもっと細かい銅線を少しずつ張り付けて行き、7回着色して研磨し、焼く。手作りゆえの致密さであるが、「ふえー」と思うほど面倒な工程でもある。
 これは、人件費が安いからこそ可能な経営形態だなあと思う。日本でこんなことをしたら、とても売り物にはならないほどの値段をつけるしかないだろう。人件費が安いのであれば、機械化はコストダウンにはならない。機械を買って維持管理するくらいなら、人をたくさん雇った方がよほど安上がりだからだ。

 この北京では今、オリンピック施設が建設ラッシュである。しかし、例のごとく2人働いている横で3〜4人がタバコを吸って、のんびり作っているらしい。間に合うのかというと、間に合わないかなと思ったら2交代・3交代で人を投入すれば大丈夫でしょうと言うのである。そうか、この国では人と時間が安いのだ。安いものはどんどん投入するのが正解で、ちゃんとコストとのトレードオフ解決になるのである。
 こういうコスト構造の国で安価な小物をどんどん作って、コンテナに詰め込んで日本にどーんと送り、これを店にどーんと並べれば100円ショップの出来上がりである。
 そして、こういうコスト構造であるからこそ、人はどんどん雇用してもらえ、都市の大人口を維持していくのである。

寒村
 小雨が降り続く中、やがてバスは山岳地帯に入った。植生は非常に貧弱で、山肌には岩盤が多く露出している。崖だらけのギザギザの山だ。単斜構造の堆積岩で、
 「はい、ケスタです。」
みたいなくっきりはっきりした地形が見られる。

 山に囲まれて、集落が点在する。レンガ造りの粗末な平屋、せいぜい2階建てだ。道は舗装もしてないし、いつから使っているのかわからないようなトラックが止めてある。水がなく畑作もできないという。こういうところでは、ソバなどの救荒作物が主食なのだろうか。
 あの大都会・北京からわずか1時間でこの違いである。もう典型的な一極集中社会だ。

 黄さんによれば、北京の人口は約2000万人だそうだ。しかし当局発表は1300万人とのことである。残りの700万人は?というと、住民登録していない、国内不法滞在者なのである。田舎から北京に出てきて、しかし市民税に相当する金銭負担が嫌で住民登録しないらしい。そして、都市は突っ走るように発展中であるため、こういった人たちにも雇用機会は十分あるらしいのである。働き口だけではない、立ち並ぶ近代的なビル、ファーストフードやおしゃれな服、都市部と地方の差があればあるほど、都市は麻薬のように魅力的だ。かつての日本における東京のように。

 西安の中心街やハイテク開発区にいると、中国が日本をキャッチアップする日は間近に迫っていると思えてくる。中国の人たちが日本人のような生活レベルに達する日も近いように感じる。ところが北京の街中にいると、西安が田舎と痛感する。ああ、やっぱり垢抜けてなかったなあと思う。それほど北京は都会だ。しかしこれらは全部局所的た。中国の富の総量は日本に及ばない。その少ない冨は都市部に集中している。他の所、中国の大部分はまだ貧しいのだ。今、目の前にある寒村のように。
 そして、都市と地方の差は、とんでもないほど拡大している。都市が突っ走っている分だけ、年々拡大している。とんでもない田舎にもコンビニがあり、人が住んでいて携帯電話が通じないというエリアがほとんど残っていない日本は、はるかに均衡である。

The Great Wall
 万里の長城に着いた。あいにくの雨だが、せっかく初めて来たのだから、時間いっぱい歩いた。
 足もとは泥岩タイルで、ところどころ貝化石が入っている。汗だくになったが、腹いっぱい食べて飲んではバス移動の毎日だったから、少しは運動しないとえらいことである。すでに帰国したら野菜生活に入ろうかと思っているぐらいなのである。
 雨と汗でメガネが濡れ、さらに雨とガスで世界遺産の光景に感動するということはできなかったが、様々な国の人々とごっちゃになりながら動めく体験ははじめてであった(と思う)。
 バスに乗り、山を降りる。もうこれで全日程終了、あとは空港へ行くだけとあって、昼食はなごんだものとなった。主催者は酒をついで回り、4日間に見知ったメンバー達もリラックスしている。リラックスして話せる知り合いが増えることはいいことである。こういうスタイルのツアーの利点だろう。
 食事のあとは最後のショッピングである。ここで中国タイプのでっかい麻雀牌を約260元で買った。この牌はわが地区の公民館に常備し、時々楽しもうと公民館館長と合意した。相変らず馬鹿な地区で、大好きである。なお、この牌は、工具箱のようなピンクの箱に入っており、一見して怪しい。そして当然のごとく関西空港では税関で見咎められてしまった。
 「これは何ですか?」
 「麻雀牌です」
 「え?これが?」
 「ええ。見せましょうか?」(開けて見せる)
 「へー、これっていくらするんですか?」
 「日本円で3000円代です」
 「へえ、安いんですね」
おいおい、仕事しろよ、税関。

Comin' Home
 北京空港では、飛行機の出発が30分ばかり遅れた。そういえば来る時も北京→西安の便がそれぐらい遅れたなあ。

行きの飛行機では、空き時間を利用して「虎の穴」の経験論文添削に精を出していたが、なんだかもう何もする気がしない。うつらうつらしながら、急速な発展を続ける中国を思う。

 近代的なビルの裏の、古いレンガとコンクリートのアパートの屋上で寝起きする人々。
 大都市と世界遺産の間にある寒村。
 昼寝つきで週休2日、さらにタバコタイムをたっぷり取りながら働く人たち。
 自転車感覚で車を運転し、その間を自転車や人がすり抜ける道路。そして年間10万人の交通事故死者。
 急激に悪化するラッシュと、それに目をつけ、車に乗り込んでマッサージをする人たち。
 足元に普通にゴミを捨てる生活。回りにゴミがいつも溜まっている生活。

 日本へ帰れば、裏日本の片田舎だ。人口たった3万人、基幹産業もない(日本の塗り箸の80%は小浜市で作ってるんだけどね)。高いビルもない(最高10階だ)。片側2車線道路もない。だけど住宅地の町並みは都会と大差なく、ネットショッピングを楽しみ、私のように情報発信をしている者も多い。そしてゴミを分別し、リサイクルにささやかながら貢献する。
 住民は連携してまちづくりを考え、ボランティア・NPOはどんどん生まれ、成長する。それを背景にインフォームドコンセントが言われ、時に「自己責任」の一人歩きなども経験しながら、シチズンシップはゆっくりとではあるが確実に育まれていく。
 社会は企業にトリプルボトムラインを求め、働くことは「あるべき姿」で、常に効率化を求めて知恵をめぐらす。交通マナーは厳しく言われ、悲惨な交通事故があるたびに交通ルールが見直される。

 中国の現在は、60年代の日本に確かに似ている。成長がとんでもなく早いのは、既存技術を取り入れていくだけという後発の強み・うまみもあるが、国家統制のもとで計画的に資本投下・富の集中をしているところが大きいと思う。社会主義国家ならではだが、国家が大きく育ち、やがて成熟期に入っていくためには、国民の手に社会経済をゆだねる必要が出てくるだろう。そうしなければバランスのよい経済成長もないだろうし、国としての均衡も望めまい。
 それまでには、きっとまた生みの苦しみがあるだろう。中には、1989年のあの事件のように、流産となってしまうこともあるだろう。しかし、民衆の力は今、経済を通じて確実に蓄えられつつある。子豚はすでに大きく育ち、飼い主の力を振り切ってしまいかねないほどの大豚になっているのかもしれない。いや、家畜の豚だと思っていたものは、実は猪や虎だったのかもしれない。

 中国は今、急速に経済成功を収めつつある。G8に気後れすることなく出席するようになり、多くのものを手に入れつつある。
 と同時に、多くのものを失いつつある。日本が経済発展や高速移動、高度情報化などとひきかえに、昭和30年代の「あの暮らし」、ちゃぶ台や七輪、豆腐売り、割烹着、井戸端などに囲まれた暮らしを失ってしまったように、中国人の多くも、20世紀末の、車社会・近代建築社会がスタートする直前の暮らしを懐かしむようになるのかもしれない。