あなたにとっての印象に残る技術史  [1173] ピカソ:2003/05/17(Sat) 11:49:18

1次試験に関係するかも?という話題。
自分にとって、もっとも印象深い技術史上のできごとを紹介してみませんか?私は「放散虫化石の研究により、日本の地質解釈が大きく変化した」ことが、大きな転換として印象に強いです。いきなり、マイナーな例でごめんなさい(応用理学なので・・・)
腹八分 >
 私としては、技術というより制度(法体系)でしょうか。それは環境基本法の制定です。その後に、大気、水質、土壌、地下水といった主な環境基準が刷新されました。環境影響評価法も制定され、都道府県や政令指定都市がそれまでの要綱を条例化しました。私の仕事内容も大きく変わりました(変わらざるを得なかった?)。それまで研究的なガスクロ等を使った分析から実務的な計量証明分析になったのです。ピカソさん、私もマイナーな例で恐縮です(環境部門なので)。 (2003/05/17(Sat) 15:42:53)

青い炎 >
 印象に残る技術史上の出来事といっても、技術者歴が浅く何もピンとくるものがないのですが、私の個人史上の印象に残る技術的事件を紹介したいと思います。
私は小学校時代より世界で一番えらいのは自分だ的な自信と過信を兼ね備えたキャラクターで、大学入学のころは、役所は人間的につまらない人間がいくところ、大企業はそれよりはちょっとましな人間がいくところ、一番優秀なやつは企業家を目指すと思っていました。そして、大学に残る人間というのは、社会に適応できないにぶい人間だと思っていましたので、大学教授というものを頭からバカにしていました。
しかし、私の所属した研究室で、私を担当してくださった助手の先生(今は助教授)には、本当に衝撃を受けました。頭はきれるし、仕事は速いし、猛烈に厳しいながらも完全に筋が通っている点で、その優秀さには本当に脱帽してしまいました。今まで出会った何人かの脱帽する人の中に今までバカにしていた大学に残る人が入っているのは本当に皮肉で、私の大学教授に対する見る目は完全に変わりました。
私は地盤環境分野では第一人者的なK教授の研究室だったのですが、K教授自身も腰が高くもなく低くもなく、本当素晴らしい人でした。 (2003/05/17(Sat) 17:39:43)

APEC >
 ピカソさん、うれしいですね。私も応用理学なので、「その通り!」という印象です。しかし、地質調査所(今は名前が変わったと思いますが)の地質図など、昔の「地向斜」で書かれたものしかない地域では、今でも地質の概況を説明するのに苦労します。「海洋プレートが・・・・」なんて言い出した途端に発注者さんの視線がうつろになったり・・・・
私にとってはやはり「羊のドリー」です。まったく専門外ではありますが、大変な衝撃でした。 (2003/05/17(Sat) 18:21:29)

カビだらけ >
 ピカソさん、こんばんは。自分は一番印象に残っているのは、小学生の時に見たパイオニア10号だったか11号だったかから送られてきた土星の映像を見たことです。よく概念はわからなかったけど、「すげーな。」と感動しました。今の自分の分野(応用理学)とは、あまり関係ないけど。 (2003/05/17(Sat) 22:10:27)

ピカソ >
変なスレにお付き合いくださいありがとうございます。1172のスレにびびりながらも、自分勝手にやらせてもらいます。なるほど、環境分野では「環境基本法の制定」が大きな転機?なのですね。環境基本法の内容の概略と背景を抑えておかねば。青い炎さんの話、まさに青い炎さんってかんじっすね。
APECさん、コンサルの地質調査報告書でも地向斜説のままの地質概要なんてものがたまにありますね。逆に言えば、解釈が違うことで工学的問題点がどう違うのかを常に考えなくてはと思っています。ちなみに、バイオテクノロジー分野では、ジェームズ・ワトソンやフランシス・クリックがキーパーソンでしょうか?(突然ですいませんが、得意な方の話が聞きたいと思いまして)。 (2003/05/17(Sat) 22:16:45)

み〜すけ >
 そうですね〜。生まれてなかったですけど、WatsonとCrickがDNAの二重らせん構造モデルをNature誌に発表したのは1953年4月25日号ですから、今年の4月でちょうど50周年を迎えました。コーエンとボイヤーが組換えDNA技術を確立してから今年で30年になります。 (2003/05/17(Sat) 22:35:13)

ピカソ >

 APECさん、すいません「羊のドリー」見逃していました。クローン羊の誕生では、「受精卵から分化した臓器などにも全能性(多くの臓器を作り出していく能力)?があることが確認された」ことが特に重要ですかね?(付け焼刃です)。カビさん、ニアミスでした。パイオニア10号聞いたことなかったです^^;)少し調べてみます。み〜すけさん、コーエンとボイヤーですか、ふむふむ。 (2003/05/17(Sat) 22:44:35)

魔法使い >
 私にとっては歩車共存道路の考え方が市民権を得たことは画期的でした。生活道路では車はゆっくり走りなさいと言う思想は、今では当たり前のことですが、昭和50年代では晴天のへきれきでした。これを基本に、自分は土木の中で生きていこうと決心した出来事でした。その後、ユニバーサルデザインや景観設計、多自然型河川設計など、ヒューマンスケールな思想が土木に持ち込まれるきっかけとなったことを思うと、私にとっては決定的な技術史上の出来事の一つです。 (2003/05/17(Sat) 22:48:06)

APEC >
 羊のドリーは、パンドラの箱であったと思います。ドリーは、双子を人工的に作るようなものである受精卵クローンではなく、体細胞クローンでした。この技術により、すでに出産され生きている人間のクローンが作れます。死んでしまった子供を生き返らせることも可能になります。クローンは、技術士一次試験の基礎科目でDNAとともにバイオの問題で必ずといっていいほど出ます。
http://www.kagaku21.net/futuredoor/tominaga/page03.shtmなどに目を通しておけばOKだと思います。
このようなパンドラの箱としては、たとえばマンハッタン計画による核爆弾などがあります。しかし、核爆弾製造技術は原子力利用技術の発達にも寄与しました。今の生活水準の維持に、原発が多大な寄与をしていることは、原発に頼ること自体の是非はともかく、現実としては確かでしょう。クローン技術も、安全でおいしい野菜や肉の安定供給や寒冷地での農作物育成に寄与します。
ここで、我々はフランケンシュタインコンプレックスといわれているものについて考える機会を得ます。これは、「最先端科学技術は制御不可能であり、人類に危書を及ぼすものであるとして忌避する」ということで、H13一次試験基礎科目にも出ていました。ケガを恐れていては前には進めないという、少々乱暴な言い方もできます。このあたりは、総監のリスク管理的な手法で適切なリスク評価をすることが求められるわけですが、非常にナイーブでむずかしい問題です。 (2003/05/17(Sat) 23:10:48)

なるモン >
 私は、毎度ながらまだまだ勉強不足で技術史は疎いと言えます。しかしながら、努力して温故知新によって僭越ながら新しい技術史の1ページを飾れるようがんばっていきたいと思っています。 (2003/05/18(Sun) 00:38:29)

ピカソ >
 「1972年3月2日に打ち上げられたパイオニア10号は、はじめて小惑星帯を超え、木星を接近観測した。打ち上げ29周年を過ぎた現在は、太陽から77.67天文単位 (1天文単位は太陽〜地球間の平均距離で、約1億5000万キロメートル) の距離にあり、太陽との相対速度で毎秒12.24キロメートルの速度で太陽系を離脱しつつある。」すごいですね。今でもたまに交信できているみたいです。 (2003/05/18(Sun) 00:48:08)

けー >
 パイオニア10号は2月にNASAから交信できなくなったと発表がありました。ただ、地球からのメッセージを載せた船体そのものは漂流を続けており、誰か(?)がそのメッセージを目にする可能性は依然残っているそうです。 (2003/05/19(Mon) 00:21:51)

APEC >
 パイオニア10号には、地球の位置や人類がどのような生物なのかを知らせるメッセージプレートが積んでありますね。また、音楽もメディアは何か忘れましたが積んであり、その中にロックンロール(ジョニーBグッド)も入っていたのが印象に残っています。今、太陽系を飛び出して冥王星よりかなり外まで到達しているはずです。
当時は米ソ冷戦の最中でベトナム戦争も続いていました。アポロ17号が最後の月着陸をしたのも1972年でした。20号まで計画されていたアポロ計画は打ち切られ、1973年からスカイラブ計画が実施されます。このスカイラブは、ベトナム戦争が終わった1975年に旧ソ連のソユーズ宇宙船とドッキングします。パイオニアはアポロとスカイラブの「隙間」に実施された計画でした。こうしてみると、米ソ冷戦というパワーゲームの中での大国の意地が宇宙開発を推し進めたという、皮肉な現実がよくわかりますね。
脱線しますが、ボイジャーというのもありましたね。あれは何だったか忘れましたが、あれも太陽系を飛び出したのじゃなかったかと思います。映画「スタートレック」でモンスター化して登場しました。くだらないエピソードばかりで失礼しました。 (2003/05/19(Mon) 00:50:12)

社会科学者 >
 私も魔法使いさんと同じく「歩車共存」に衝撃を受けたのですが、その前に正反対の「歩車分離」に受けた衝撃が大きかったです。「歩車分離」というと、歩道を整備するぐらいの貧相なイメージしかなかったのが、本で読んだ知識ですが、「クルドサック」や「ループ」による通過交通の完全排除、そして「ラドバーンシステム」(だったかな?名前は記憶があいまいです)による車道と歩道の完全分離など、都市計画の段階からの歩車分離の実現という考え方には、カルチャーショックを受けたものです(2003/05/19(Mon) 01:10:17)

腹八分 >
 バイオというか遺伝子関連では、DNAの解析が親子鑑定や、犯罪捜査の犯人同定にも利用されていますね。微量の遺伝子をPCR法で増幅してゲルで移動後特定部位を検出して・・・あとは手順はよくわかりませんけど。科捜研のラボにもかれこれ10年くらい前からこの設備が導入されているのを見たことがあります。最近の傾向はRNAに移行しているとか聞きます。 人それぞれの薬品との適合性の研究とかに。(2003/05/19(Mon) 08:43:32)

ピカソ >
 前略。無秩序な歩車共存から歩車分離,秩序ある歩車共存という流れってことですか。そこから,「ユニバーサルデザインや景観設計、多自然型河川設計など、ヒューマンスケール」の思想が土木分野につながったという感じなのですね。今は,ヒューマンスケールから環境スケール?へ土木の思想が移行する過渡期ですか?話変わりますが,DNA鑑定では「PCR法で微量の遺伝子を増幅できるようになった」ことがブレークスルーだったのですかね?。無知な人間が,がんばってレスしてみたので,誰かご教授を(他力本願)。(2003/05/19(Mon) 20:32:27)

けー >
 私にとっては社会資本整備に対するヘドニックアプローチによる評価です。学会で発表されたのは30年程前だと思いますが、今や国交省の区画整理やまちまちの事業評価マニュアルにもこの手法が採用されています。異なる環境質、社会資本、規制の評価を統一的に行えるこの手法を初めて見たのは学生の時でしたが、夢中になって勉強しました。社会資本整備とキャッシュフローの関係を考えるきっかけにもなりました。昨年の二次建設一般の「社会資本整備のあり方」はこの考え方を中心に論陣を張り、唯一この問題だけは自分でも手応えがありました。 (2003/05/19(Mon) 21:12:46)

魔法使い >
 道路交通は自動車専用の高速道路から人専用の歩行者専用道路まで機能に応じて段階的に整備していくのが基本です。ニュータウンでは新規計画ですからこうした段階的整備が可能ですが既成市街地では全面用地買収できませんので、生活道路は秩序ある歩車共存が現実的です。歩車共存と同時に景観設計という思想が持ち込まれ、街路だけで無く水辺や橋梁の景観設計が一時流行しました。
しかし、水辺については単に美しいだけで無く、生態系にまで踏み込んだ整備で無ければ意味が無いと言うところまで発展してきたのが現在の状況です。今では、景観10年、景色百年、風土千年といわれています。そして、土木は風土工学であり、中部地方の一級河川木曽川もかつて、私達の先輩がつくり、時間と共に人に育まれてきた土木遺産なのだそうです。土木学会から篠原修さんの土木遺産に関する本が出版されていますので参考にしてくだい。 (2003/05/19(Mon) 21:43:15)

やっぱり頑張りすぎ >
 私は、科学・技術史を「発展史」的に考えました。結論は、今日までの科学・技術の発展を支えてきたのは、有史以来、人間の尽きる事なき「欲」ではないかと。
飛行機・ロケットなど内燃機関、情報収集のための通信技術、果ては核エネルギー利用技術。「権勢欲=(戦争)」は、これらへ膨大な予算(開発・実験費)投入を促し、また戦場はこれら技術の格好の「実験場」でした。
はたまた始皇帝で有名な「不老不死」つまり「死の恐怖の克服」への欲求。医療機械・医療技術の進歩の源はここにあるのでしょう。
そして欲の充足(科学技術の発展)が抱えざるを得ない「代償」。戦争により発展した技術の土台には幾多の犠牲。医療技術の発展が一因とも言える「高齢化社会」の必然的到来。
おそらく、これらの代償を克服(欲の追求)すべく更なる技術開発へ向かうであろうその先には、やはり現時点では想像もつかない「代償」が生まれ・・。なんて文章が出ませんかね。古めかしいし厭世的過ぎますかね。ちなみに私は「一つの人類の進化の形」とも捉えています。 (2003/05/19(Mon) 22:50:49)

腹八分 >
 ピカソさん、私も専門外ですので、PCR法は又聞きの知識です。ただ、環境調査の分析でも極微量分析は突き詰めると、いかに「濃縮」し、いかに「不純物を取り除くか」なんです。あとは検出器の感度アップとか、検出しやすい錯体等に変えるとかしかない。対象物そのものを「増幅」させるというのもは私の知る限りありません。そういう意味では画期的だと思います。 (2003/05/19(Mon) 23:41:13)

み〜すけ >
 DNAを増幅するには、それまで大腸菌に、目的とするDNAをつないだプラスミド等を導入して大腸菌を培養し、プラスミドを増やして回収、そこからDNAを取り出していましたが、PCR法では、ほんの微量のサンプルさえあれば、増幅したい部分の両端のDNA塩基配列がわかっていれば、DNAポリメラーゼの働きで、1回の反応で2倍、25回やれば10万倍、30回やれば約10億倍に増やすことができます。この過程は試験管の中で数時間で行うことができます(「バイオな気分」より!!) (2003/05/20(Tue) 06:14:15)

ガン >
 ピカソさん、私にとって印象深い技術史上の出来事をずっと考えていました。そうするうちに、自分が何で理科系に進んだのか、ということを考え始め、ついには子供の頃のアルバムまで引っ張り出して、家族で「あの頃はこうだった」「この時はどうだった」と昔話で盛り上がる始末。お陰で肝心の技術史上の出来事は思い浮かばないままです。
ですが、なぜ理科系に進んだのかは、何となく理由がわかりました。恥ずかしながら「マンガ」のような気がします。私が小さい頃のマンガは、鉄人28号、鉄腕アトム、ソラン、スーパージェッター等々、近未来の科学物?が多かったですね。
腕時計で通信したり、車が空を飛んだり・・・あこがれたものです。そこが自然と理科系に進んだ理由のような気がします。その頃夢だったことの一部は、すでに現実のものになろうとしているのですから、技術の進歩は凄いですね。ちなみに、今は環境の仕事をしていますが、昔は電気・電子に進みたかったことも思い出しました。雑談でした。 (2003/05/21(Wed) 19:59:36)

み〜すけ >
 こんばんは。私の場合、きっかけは学研の科学と学習でした。付録が凝っていて、学校で販売されていたのですよ、、、っていうと年がわかるよね。これも雑談。(2003/05/21(Wed) 21:22:42)

うらん >
 私にとっての印象に残るものは、アポロ計画・アインシュタイン(子供の頃に伝記をよみました)・野口英世ですね〜。もう少し大人になってからは、レーウェンフックの顕微鏡の発明とか・・・・。技術史がらみですが・・「新しい理科の教科書」ってご存知ですか?検定外教科書という触れ込みで本屋で売っていました。ほんの些細なことですが、その教科書の中に、「いまわかっている事実は、長い年月の中で多くの研究者の知識の蓄積があった」というような文章がありました(今手元に本がないので、正確ではありませんが)。従来の暗記型の教科書ではなく、事実の解明の背景に思いを馳せることができるような文章に、ちょっと感動しました。 (2003/05/21(Wed) 23:02:11)

ピカソ >
 皆さん,子供の頃から何かしら科学技術に興味をお持ちだったのですね。私なんかは大学で地学と出会ってから,少し考え事をするようになった程度なので情けないです。うらんさんの「新しい理科の教科書」に興味がわきました。早速探してみます。ありがとうございます。 (2003/05/22(Thu) 17:26:30)

年なん >
 放散虫もそうですが、フズリナで逆転構造がないという理論をもとに、企業側の論理で業務論文書かせてもらいました。地向斜の上下の動きの考え方が、プレートの横方向の動きと目がテン状態が当時分かりませんで、相当回り道しました。愚痴ですいません。(2003/05/22(Thu) 18:30:10)

カビだらけ >
 プレートテクトニクスの後に、今度はプリュームテクトニクスという理論もありますよね。面白いのは、このプリュームテクトニクスがマントル内のことではありますが上下方向の動きについての理論であることです。地向斜の考え方とは根本的な違いがありますが、上下方向の動きを説明しているという点だけ見ていると、歴史は繰り返すのかな?、という気になります。そういえば地球膨張説なんてものもありましたね。
このスレを見ていると、学生自分に抱いていた地質学に対して抱いていた想いを蘇らされます。 (2003/05/23(Fri) 00:25:50)

うらん >
 ピカソさん、私間違っていました「新しい科学の教科書T」でした。ちなみに執筆代表は左巻健男氏、文一総合出版です。物理・化学・生物・地学、楽しめますよ。副題が「現代人のための中学理科」です。あ、ちなみに出版社の回し者ではありません〜。
カビだらけさんご紹介のプリュームテクトニクスって面白そうですね〜。今度検索してみます。 (2003/05/23(Fri) 10:50:21)

ピカソ >
 うらんさん,ありがとうございます。近くの図書館で検索したら同シリーズT,U,Vが見つかりました。早速,借りようと思います。ひょっとして,技術史だけじゃなくて基礎科目全体のバイブルになったりして・・・あまいか^^;。
カビさん,プリュームテクトニクスを上下運動で特徴付けて見るのですね。地向斜説自体をあまり理解していませんが,地向斜の最終段階はプリュームテクトニクスで説明できるかも?と思いました。 (2003/05/23(Fri) 17:33:50)

APEC >
 プリュームテクトニクスって、昔(今もかな?)「マントルダイアピル」とか言っていたものですか?コアからでっかい泡が沸くようにダイアピル(プリューム?)がマントルの中に上昇し、その上に伸張応力場ができてグリーンタフのような陥没帯ができるというやつです。あれだと、陥没体が丸くなってしまって、海溝状の堆積盆の形成がうまく説明できないのじゃ?と思っていた記憶があります。すいません、スレのテーマから外れました。私もとっても懐かしかったもので。
そういう意味では、プレートテクトニクスのようなリソスフェア理論は、地質学、なかんずく地質構造発達史の分野では大革命といえるのでしょうね。(2003/05/23(Fri) 17:49:05)

社会科学者 >
 私もけーさんと同様、ヘドニックアプローチにも衝撃を受けました(どうも衝撃を受けやすい体質のようです)。直接的には、「環境はいくらか?」という、日本工営の長谷川さんという方(だったかな?)が翻訳された本の影響で、完全にハマってしまいました。その本では、ヘドニック法に加えて、いまのCVMに相当するものや、代替法など、環境の価値をお金で計るためのいろんな方法が紹介されていました。市場で取引されていないから価値が計れないと諦めずに、いろんな工夫をして理論的にも検証したうえで環境の価値を計ってやろうという意気込みを感じ、圧倒されました。 (2003/05/23(Fri) 21:01:06)

けー >
 ジョン・ディクソンら著の「環境はいくらか?」(築地書館)ですね。懐かしい。数ある類書の中でも今でも最もわかりやすい部類の本だと思っています。(2003/05/23(Fri) 23:15:07)

やっぱり頑張りすぎ >
 今度は、科学・技術史を「移動」という言葉で括ってみました。「移動」といっても「人や物」を移動させる技術だけでなく、「知識・情報」が移動する(させる)技術もある訳です。(ただし、これは「移動技術」ではなく、「伝達技術」のほうが適切ですね)
かつては移動手段といえば「我が足」しかないわけで、「自分の世界(またはテリトリー)」はこれの能力にかかっていました。結果、狩猟範囲も限界があった。重たい荷物も運べない。情報の移動(発信・収集)もしかり。日本では江戸時代までの代表手段は「飛脚」かな。
いきなり飛びますが、内燃機関の発明は「移動手段」に革命的な発展をもたらします。あるいは人類の要求が移動技術開発を促したとも言えますが、とにかく移動可能距離は飛躍的に伸び、同時に移動時間は飛躍的に短縮されます。自らの活動範囲は広がり、情報は広範囲かつ迅速に「移動」できるようになります。
それら(物資、人間などの物的資産及び知識・情報の移動容易性の向上)と相まって、その後の各種技術は飛躍的に発展し、ご存じの通り、特に情報伝達技術の発展は、逆に「人間の移動」を「不要」にさえしようとしています。「地球外への挑戦」が始まったのも何十年も前のことです。
そうして昨今言われる「地球(世界)のグローバル化」「ボーダレス化」時代を迎えるわけですが、ここに至ると物資・情報の「移動技術」の発展は「人類の世界を大きくした」というよりは、巷間言われる「人類にとって地球を狭くした」ということになります。
はたまた、移動範囲の拡大によって人的・文化的「交流」も生じ、地域固有の価値観、倫理観が多様化します。もちろんこれらの「衝突」もありました。
意気込んで書き始めたのですが、発散するばかりで纏められなくなってきたので、無責任ですがこのへんで終わりにします。ちなみに、今年から「技術史」が試験に追加されるようですが、どんなものか想像がつきませんね。 (2003/05/24(Sat) 13:19:08)

雑魚 >
 技術史と少しニュアンスが違うけれど一言。木曽、長良、揖斐の暴れ川が、現在の姿となったのは宝暦治水に始まります。私は、よく揖斐、長良合流点にある、木曽三川公園と治水神社に遊びに行きます。その場所で川を眺めると、薩摩義士の自然と格闘したドラマが思い起こせます。当地では、270年たった現在でも、薩摩義士のことが語り伝えられ、薩摩藩の方へ足を向けて寝ないそうです。私の、60点程度の使命感ですが、その原点は治水神社です。 
歴史というのは技術の重要な一分野と考えています。何故、土木では土木の歴史を教えないのでしょうね。(技術史が追加されたようですが望ましいことと思います) (2003/05/24(Sat) 17:05:10)

魔法使い >
 雑魚さん。私は木曽川でケレップ水制工を見た時ジンときました。あれは、デレーヶなのでしょうか?それとも日本の伝統工法なのですか? (2003/05/25(Sun) 23:31:34)

陶芸家 >
ケレップ水制はオランダ人技士デレーケ提案で、明治20年代作成だそうです。工法その他の機能はhttp://www.cell.co.jp/gifu/pdf/suiiki/sui_kereppu.pdfをごらんください。 (2003/05/26(Mon) 17:33:00)

falconer >
 PCRについての話。亀レスになりますが,PCRはかなり古い時代から基本のアイディアはあったのです。でも,二重らせんになったDNAを1本にする過程で熱をかけるので,DNA合成酵素が失活(酵素はタンパク質からなるので,熱変性により酵素としての機能を失う)してしまうところ点で,実用化に難がありました。1サイクルごとにDNA合成酵素を添加しなくてはならなかったらしいです。ところが,硫黄細菌だったと思いますが,摂氏250度(だったかな?)の環境下でも生きている細菌から分離したDNA合成酵素を使うことで,スイッチポン!になったそうです。PCR装置は,他の理化学機器に比べて安く,かつ,ばっちりと結果が出るので,爆発的に普及しました。
今,分子生物学を専門とする大学の教室で,もっていないところなんてないのじゃないかと思います。たしか発案者のNIHの科学者はノーベル賞を受賞したと思います。話は変わって,私の印象に残る技術史といえば,モノクローナル抗体の発明でしょうか。これのおかげで,様々な分析が可能となりましたから。当たり!の抗体をつくるのが難しいですけど。 (2003/05/26(Mon) 19:57:05)

雑魚 >
 今帰社しました。魔法使いさん、ドーモ。改めて聞かれると(^_^;)。そこで、陶芸家さんのレスで勉強し、私もインターネットの「ケレップ水制」で調べました。「明治の初め頃、オランダ人技師ラッセルらにより日本に初めてもたらされたもので、船の航路を確保するために流れを川の中心に集めるT字型の不透過水制。」とありました。当地で、その工法を提案し工事を指導した技術者は、オランダ人技士デレーケです。   
その他、興味深い記事がありました。www.crdc.gifu-u.ac.jp/mmdb/waju/gogan質問されると勉強になりますね。 
試験も一段落ついてので、木曽三川の歴史、風土、土木の旧跡など、現場を歩いて、あるいは自転車で訪ねようと思っています。 (2003/05/26(Mon) 21:14:46)

陶芸家 >
 雑魚さん。ケレップ水制は不透過水制とのことですが、工法を見ると基礎に粗朶を用いて、その中に粘土を詰めて、くいで固定、といったプロセスからすると、水の出入りをある程度許す半透水(半不透過水制)と思っていました。話がそれますが、木曽川には船頭平閘門があって、はるか昔日経コンストラクションで景観特集されていました。似て非なるものといった批判があったように記憶していますが、その後エージングも進んで雰囲気が出てきたでしょうか?ついでと言ってはなんですが、行かれた折にはまた、見学レポート等お寄せせください。 (2003/05/27(Tue) 10:51:01)