建設技術者のコスト意識 [1200] 青い炎:2003/05/31(Sat) 18:53:48
社会科学者さんに指摘された私の持つ倫理観のなさ独善的な態度に関連して、スレを立ち上げます。もともと役所のコスト意識のなさは常々指摘されてきたことですが、私は民間の建設技術者もほとんど同様にコスト意識がないと感じています。他社の報告書などで、斜面安定の計算がメチャクチャなのをよく見かけます。土質定数の取り方、試験の条件設定のしかた、崩壊機構の考え方、いろんなところに信じがたいおかしなものが見られ、主任技術者は技術士です。
崩壊機構から考えると全く意味のない条件設定の土質試験などが平気で行われていて、そこから導き出された全く意味のない土質定数を使って設計していることなどが問題です。
土質定数で安全側をみて、ありえないところまで地下水の上昇をみて、安定計算で安全率1.2をみて、さらに擁壁なら安全率1.5をみて・・・。しかも私がチェックしてもすぐ気づくようなことが抜けていて実は危険だったりする。安全か危険かの問題の本質はそういったことなのではないでしょうか?確かに私は独善的にこんなに安全率は必要ないと思って、設計に取り入れる傾向があります。基準どおりに設計すれば何も考えなくてよくて確かに楽ですが、将来の子孫たちのことを考えると私は、それがベストだとは思えません。社会科学者さんにはこの倫理観が国を滅ぼす元凶とまで言われてしまいましたが、世の中の多くの設計は、崩壊しても、基準どおりに行いましたという言い訳を前提に設計を行っているように思います。
そういう考えの根本にあるものは組織の共同体化です。私は国や組織を滅ぼす元凶は組織の共同体化だと思っているので、地方のコンサルだけなのかもしれませんが、役所と民間が一体となって共同体化しているのではないかと不安を感じています。私は「まじめにがんばっているのだから何をやっても許される」とは思っていません。
逆に10年後や100年後の子孫たちから借金をしてさらに全く無駄な維持管理費を押し付けることの方が許されることではないと思っています。何も考えずにマニュアルに従って、無意味な土質定数を用いて設計をすることが許されないと思っています。安全に対してコストを度外視する現在の日本人の価値観が、未来の日本人からは許されないことだと感じています。いいたいことは、ばかげた安全率を設定するのなら、もっと真剣に崩壊機構や土質試験の条件設定や土質定数について検討すべきだということです。
以上、一方的に私の思い込みを書きなぐりました。「安全に対してコストを度外視する現在の日本人の価値観」についてどうお考えなのかみなさんの意見を伺いたいです。
気持ちはヤング >
青い炎様、あなたのような若者がおられることを大変心強く思います。私はすでに若くはないですが、あなたが思われているようなことを頻繁に感じます。コンサルと調査家の意識ギャップ、絶対に埋めなければいけません。がんばりましょう。 (2003/05/31(Sat) 19:12:02)
ガン >
設計は素人なので、安全率の設定をどのような基準で行うのかは知りません。ただ、別スレで主張された5人のためにとか100万人のためにとか、対象とする人数で行うべきものではない、とだけは断言できます。脱マニュアルや子孫に借金を残すべきではない、という考え方には同感です。 (2003/05/31(Sat) 19:43:55)
APEC >
斜面安定に関しては青い炎さんに同感です。そもそも全応力と有効応力の違いさえ満足にわかっていないのではないかと思われることがよくあります。「この粘土の圧密排水強度は、c=0、φ=30です」「えっ?粘土だからφはゼロでしょう?」・・・・このような低レベルの受け答えをするような技術者に安定計算をさせては、国民に対する背信行為になってしまいます。
結局、性能保証ということになるのではないでしょうか。目標とする安全率にしても、必ずしも1.2や1.25である必要はなく、状況によっては1.1(仮設でなく)であってもいいでしょう。そして、コストと安全性・利便性などのトレードオフ関係にあるものを、リスマネによって数値評価して必要な性能を決定していく技術が必要になるのだと思います。
そういう意味では、5戸のための道というのは、たとえば「5戸しかなく交通量が少ないので被災する可能性が極めて低い。よって目標安全率を1.2でなく1.15にして整備する。そのかわりに異常気象時通行制限道路として、被災のリスクを低減する」などの方策が考えられるのではないかと思います。フル規格(安全性についても)の道路を作ることと、5戸を見捨てて何もしないという両極端な方法ではなくて。
橋などにしても、たとえば1kmごとに橋がかかっているとして、これが地震で落橋した場合のリスクを、たとえば救急車両の迂回時間が生じることによる被害内容などを数値予測し、この結果に基づいて何本かは「大地震の時には落ちてもいい橋」にして、コストダウンする。ライフラインも耐震橋に集中させ、ここから救急車両が来るという前提で市街地開発も進め、それに即したハザードマップも作る。・・・・こういったことが必要になってくるのではないかと思います。
そのため、我々技術者は自分の専門分野に閉じこもらず、発注者側技術者とともに、総監的技術力や俯瞰的視野も鍛えて、性能保証設計を担える力をつけなければならないと思います。 (2003/05/31(Sat) 20:18:11)
社会科学者 >
青い炎さん、おっしゃる通り、安全とコストのトレードオフの中で最適な選択が行われていない可能性は大いにありますので、そのことを問題提起し、議論を深めていくことは大賛成です。ただし、私の発言についていまだに勘違いされているようですので、いくつか補足しておきます。
私が「国を滅ぼす元凶」といったのは、全く個人的な判断に基づき、人の命を危険にさらすような行動をとってしまうことに対してです。「5戸しかいない山村に続く道路の拡幅工事」の件では、安全率を切り下げるべきであることを、上司や発注者に事前に相談しましたか?マニュアルどおりの安全率では過大だという根拠や、より適切な安全率を設定する根拠を文書で残しましたか?人の命に関わるような問題は、「社会的な意思決定」として対応しなければなりません。個人では責任を取れない問題だからです。もし、災害が起こって人が死ねば、あなたは人殺しになります。あなたの会社は傾きます。発注者も監督不行き届きで処分されます。そのときになって「子孫のため」なんて言ってもどうにもなりません。凶悪犯罪者が、「神のお告げがあったから」などとわけのわからぬことを言っているのと同じことです。
「まじめにがんばっているのだから何をやっても許される」というのは、「マニュアルに盲目的に従わずに子孫のことを考えてのことだから、誰にも言わずに安全率を切り下げてもかまわない」という意味です。マニュアルに定められた安全率がおかしいなら、関係者に相談したうえで、広く問題提起したり、より適切な安全率の設定方法を提案するべきです。マニュアルを策定した協会なり学会や、学識経験者にアプローチする方法もあるでしょう。どうか勝手に決めて実行しないで下さい。
そもそも一人の技術者が勝手に決められること自体おかしいのですが、現実的には専門性が高く、分業が進んでいますので、一人の技術者の個人的判断が入りこむ余地は相当あるでしょう。だからこそ、技術者倫理が重要なのです。独断で重要な決定をしないという倫理観が必要なのです。技術者がその倫理観をなくせば国は滅びます。(2003/05/31(Sat) 23:04:40)
m.i.i >
青い炎さん、私は、土質の専門では無いので(詳しい土木設計の内部事情を知らない為)青い炎さんの意見や、APECさんの提案する安全率の取り方などが、現実的なのか理解出来ませんが、私自身の現場の仮設備等の設計(強度計算)の経験を述べさせて頂きますと、例えばジブクレーンやケーブルクレーンの部材の強度の安全率の取り方は、クレーン等構造規格で定められており、個人(技術者、設計者)の主観や周囲のエゴに左右される事は無いと感じています。仮設と云う意味だけでは無く、メーカーサイドとしても商品を製造、提供する立場上、企業のブランドを背負う以上、事故等が有れば、存亡に関わる訳ですから、基本は押さえます。又、安全率の取り方も、頻度と負何の大小で動荷重係数等の値を変えます。
単純な質問ですが、土木では細かく分けられないのでしょうか?私も現場ではクレーンの基礎の大きさや、ベルトコンベアの基礎の地耐力等、土木担当者と相談しながら、位置や容量を決めていましたが、確かに土質を完璧に把握していた(又は性状を予測)とは思えませんでした。最後は経験が価値判断の基準になり得る事もあったと云う事です。確かに「土」は人間が科学的知力で造り出したものでは無いですからある意味「生き物」ですよね。地球全体が生き物だと云う理論がありましたよね。「プレート〜〜」とか。うる覚えでごめんなさい。基本的に青い炎さんのスレには賛同の意を表明します。
(2003/05/31(Sat) 23:13:57)
m.i.i > 少し訂正させて下さい。「安全に対してコストを度外視する現在の日本人の価値観」については、日本人と決めつける事には実証が出来ないと思いますので反対の意を表明します。 (2003/05/31(Sat) 23:37:29)
やっぱり頑張りすぎ >
大変深く広い問題だと思います。そして「根本的」な問いです。ケースを拡張してゆけば施設整備のみならず、教育、福祉・・あらゆるケースでの「財」と「サービス」のバランスの問題にぶち当たります。本来主権者たる「国民」は、「税」という代償と引き替えに、どのくらいの「サービス」「保証」得るべきなのか。に国民の依託を受けた者(現在では国家)は、どこまで「サービス」「保証」を提供すべきなのか。
そして、この「サービスレベル」は何が妥当で、誰が決めるべきものなのか。APECさんの「意見」は一つの示唆だと思いますが、対象物の「スケール」や「パターン」によって様々な考えがあるのではないかとも考えるのです。つまり、書かれた内容の「サービスレベル」が「(何らかの)合意」を得た後に選択されるケースではないかと。
例えば、「病人(出産でも)は、どんなことがあろうとも救急車が向かう。ついては、このために必要な道路はいかなる天災にも耐えうる機能を保持させ、交通止めは絶対にしない」というのも、サービスレベルの意志決定の問題です。
ちなみに、私はこうした「安心・安全」を含め、全ての「サービスレベル」と「財源」そして、これらの決定根拠となる「将来予測」の問題が、最も重要な課題だと考えていますが、「決定」については恐らく全ての人が「合意」するのは困難で、今は「公共心の醸成」「自己責任」くらいしか思いつきません。
話を戻しますが、私は「技術者」は、この「意志決定」をすべきでは無い。が、精度ある将来予測と、多様な面から検討された方法(選択肢)を提供すべきと思います。そのためには同時にAPECさんが言われるように多様な知識が必要です。
そして、方向が決まったならば、それを理解し、かつ実現に向けたコスト低減技術の開発・模索に最大限努力すべきでしょう。
青い炎さんの言われるような、「方向性(サービスレベル)」を理解せず、不適切な条件設定(常数など)を行うことは、論外です。 (2003/06/01(Sun) 00:08:22)
APEC >
皆さんのご意見、大変参考になります。性能保証を基本としたとしても、「性能を満たす」かどうかの個別判断基準が必要になります。技術的には、やはり何らかの基準を参考に、それの許容される幅の中で性能を決定していくことが望まれると思います。脱マニュアルとはいいながら、現実には「マニュアル類は一切なし。技術者が全部自分で考えてください」というのも不可能ですから。そしてそこでは、やはりリスマネ技術が必要になると思います。これが技術者の担当分だと思います。
次に社会的には、その社会資本整備に関する社会的合意の方法と範囲が問題ですね。これの決定に際しては、アセスがやっているスクリーニング・スコーピングのようなシステム、すなわち性能保証にあたって技術的に検討した結果は、専門家評価・住民評価の洗礼を受けるべし、と考えます。社会科学者さんご指摘の「独善性」を排するための措置です。この部分は、技術者だけでなく、行政・当事者(住民)みんなの問題です。技術者は情報を提供するだけで意見は述べるべきではないかもしれません。また、まちづくりNPOなどの活躍の場でもあるでしょう。少なくとも一人の技術者がこのようなことを決定する権利はないと思います。
m.i.iさん、「地球が生きている」というのはガイア理論では?プレートテクトニクスは地殻やマントル上部などのリソスフェアと呼ばれる範囲内の動きで地殻変動を説明しようという理論です。ガイア理論は仏教的思想と相通ずるので私は大変興味を持っていますが、それはまた別の機会に。 (2003/06/01(Sun) 00:35:17)
魔法使い >
青い炎さん。5戸しかない山村に続く道路と言う抽象的表現がよくわかりませんが、普通に考えれば日当たり交通量五〇〇台未満の3種5級幅員4mの1車線道路でよろしいのではありませんか?あとはこれに、大型車がすれ違いできる待避所を数百mに一ケ所つくる程度です。問題はこの1車線道路が補助事業対象にこれまでならなかったことにあります。県単事業でやれと言われてきたはずです。地方にはそんなお金はありませんから、補助対象になる2車線道路を作る計画を無駄と知りつつ提出してきたわけです。こんな無駄をなくすため、国は、1、5車線的道路整備を補助対象とすることになったことが、日系コンストラクションに特集されていました。1、5車線というのは、一つの路線内に2車線区間もあれば、1車線プラス待避所設置区間もあると言う整備手法です。国は柔軟に対応するようになってきましたが、補助金は手放しません。こうした整備は地方に任せた方がうまくいきます。権限移譲すれば簡単に解決する問題です。地域が必要としている社会資本は地域が決定して行くシステムが、今求められています。国が必要とされるのは地域だけでは解決できない社会資本を整備する時です。
スレッドのテーマから少し外れますが、ついでに今思い付いたことを書き込みます。建設コンサルタントや建設会社についても地域が必要とするものは地域で、全国的視野を必要とするものは大手でと考えると、全体の受注する場所が下流に向かってシフトしていくようなシステムでなく事業規模と技術力、地域情報消化力で事業全体の再構築を必要としていると思っています。ですからA (2003/06/01(Sun) 09:22:10)
ガン >
青い炎さん、やはりスレ「1196」の貴方の意見が気になります。緑の街さんの趣旨とは合わないと思いますのでここでレスします。
マニュアルや基準に頼りすぎ、コスト意識に甘い今の設計に対する怒りや、子孫に借金や環境問題を押し付けたくない気持ちは理解できますし、賛成です。しかし、スレ「1196」での意見のように、「5戸しかいない山村に続く道路の拡幅工事に最善を尽くすこと」を「コスト意識がない」と決めつけたり、コストを意識しない発言を「キレイゴト」と定義したりするところには大いに疑問を感じます。掲示板での議論も色々なトレードオフに対して、人それぞれ考え方が異なります。「今の財政を考えればコスト優先」という意見もあるでしょうし、「多少コストがかかっても地球温暖化防止が最優先」という意見もあるでしょう。そういう議論の中から進むべき方向性がみえてきたりするのだと思います。ですから、「コストを意識しない発言をキレイゴトと定義する」というような「切り捨て的発言」は止めましょうよ。でないと「青い炎批判」が殺到(笑)し、本質的な議論ができなくなります。
ところで貴方が推進していた原発(今は脱原発派?)も莫大な処理費や管理費を子孫に残すわけで、それを知ってか知らずか貴方は「地球温暖化防止が最優先」という意見でしたよね。これも特にコストを意識した議論ではなかったように思いますから「キレイゴト」ですか? (2003/06/01(Sun) 09:26:09)
ずけ >
青い炎さんへ。[1196]の青い炎さんのレスに対してレスします。『日本国民一人のために最善を尽くすという言い方は、その分犠牲が語られていない点で極めて悪質なキレイゴトだと言えます。』とのことですが、これは『北朝鮮と交戦すべき』という考えと矛盾しませんか?北朝鮮と交戦するということは、日本国民数人のために、莫大な国家予算をつぎ込むことになります。犠牲ははかりしれません。
5戸の山村に続く道路の拡幅工事にしても、その道路が、緊急車両が通れなかったり、ちょっとした大雨で通行不能になったりするようであれば、拡幅工事は5戸の人々の生命や財産を守ることになります。私は、このような道路は改良されるべきだと思います。この5戸の集落は、最低限確保されるべき社会資本のサービス水準を下回っていると思うからです。サービス水準をいかに設定するかという問題はありますが、私は、サービス水準を下回っている地域のための社会資本については、コストの縮減を図りながら整備していく必要があると思います。
火に油を注いでしまった「拉致問題」については、後ほどレスします。(2003/06/01(Sun) 10:57:27)
腹八分 >
青い炎さんの、やるせない気持ちが伝わってきます。「子孫たちから借金をしてさらに全く無駄な維持管理費を押し付けることの方が許されることではない」は環境分野でいうところの負の遺産と同じで、基本的に賛成です。あと、無知な私が考えたのは、5戸のための道路整備についてですが、そこの住民に移転していただくことにより、道路整備の必要性をなしにするといった手法はとれないものでしょうか? 過去にある県下のダム湖以北の砂防ダムについて費用対便益調査を下請けでしたときの例ですが、水害により住民が大打撃を受け、他の地域に全員が移転しました。それ以降、砂防ダムの効果として「住民の生命と財産を守る」ことは除外されたため、自然環境の保全とレクリエーション地の確保くらいしか価値がなくなってしまいました(よって費用対便益は1を下回り0.9くらいにしかならない)。きつい言い方をすれば、無駄な事業をしていることになり、コストの面から縮小すべき事業となります。 (2003/06/01(Sun) 11:54:56)
雑魚 >
バブル期、数戸の家屋のために、500m程度の道路を何本か設計しました。おおむねそのような地域は、移転する土地に事欠かないので、その数戸が引っ越せば一番てっとり早い(腹八分さんの言うとおり)。しかし、「そこの、オジ―が言うことを聞かんのだー、町としても国からの金がほしいしのー」。かくて、事業は始まります。
事業をするにしても、何故そのような道路に道路構造令を適用しなければならないか。 林道規定どころか、乗用車の最高能力規定(時速10km程度で走れればよい)を適用すれば十分ではないか。そうすれば、そのような道路のほとんどは、現況道路にブルを一回走らせ、側溝を設置すれば整備できます。しかし、国からは金は下げません。ここが、一番の問題です。
まず、国、県市町村は、何が何でも事業をするという発想を変える必要があります。 また、大雨、崖崩れ、水害等が同時に発生し、なおかつ、一刻も争う病人がでる可能性もある。したがって、道路が必要だ。と言う、極端な発想も改める必要があります(どこかの県知事が言っていました)。そこで私の結論ですが、コスト以前に、金の使い方が問題だと常々思っています。金という物は、使うときには使わねばならない、必要のない時は、危機に備え貯金する。(あれ、子供に諭すような、レベルの低い結論で失礼しました。) (2003/06/01(Sun) 14:22:27)
ねぎ >
青い炎さん,相変わらず元気がいいですね。でも,今回は共感できません。理由は,社会科学者さんのレスからきつい表現を取り去ったものと同じです。
あなたの文章を読んで心配になりました。青い炎さんがご自分の力を過信しているのではないかと思われるからです。偉いのは自分だけで,他のやつらはレベルが低い。技術士を名乗っていてもたいした事はない。ろくな設計をしていない。自分ががんばらねば…。そのように聞こえます。技術者に過信は禁物です。過信はミスを誘引します。油断や過信から生まれるミスは致命的になりやすいのです。『謙虚謙譲』,青い炎さんにはこの言葉を贈りたい(^^ゞ。
それから,前のスレの話題ですが,拉致の解決に交戦をも辞さないとは,いかにも青い炎さんらしい過激な発言ですねぇ。でも,北朝鮮の周りには,中国がいる,ロシアもいる,韓国だって,何を考えているかわかったものじゃじゃない(韓国には対馬は韓国固有の領土だと主張する人たちがいます)。だから,北朝鮮と戦えば周りを巻き込んで収拾がつかなくなるおそれがあります。ここは短気を起こさずに,アメリカやEUや周辺諸国を利用して穏やかに解決する方法を選択するのが賢明と思います。もっとも,青い炎さんは,こんなことは承知の上で書いているのかもしれませんが。 (2003/06/01(Sun) 16:49:04)
伏龍 >
お久しぶりです.青い炎さん,あなたの堅い持論と自信にはいつもながら脱帽です.私と確か2歳違いだったはずですが,2年後に私が現在のあなた程,強い主張をできる技術者になれるかどうか・・・.長い道のりに感じます.
【本題】さて,私もマニュアルエンジニアには賛同しません.無論,設定条件すらまともにできないエンジニアはもってのほかです.これは,日本文化が模倣文化と言われることに起因しているかも知れません.だから,「国土交通省などが定めた基準やマニュアルどおりであれば良い」と考えてしまうのでしょうか.その視点からして,別スレで述べられた『脱日本』に共感します.ただ,マニュアルどおりであれば良いという設計ならば,技術屋(エンジニア)ではなく事務屋でもできるのですから.日本人の価値観を高めるためには,独創性を養う技術者社会を形成するために,脱マニュアル化し,もっとエンジニア的思考・見解を持つべきだと私も常日頃から感じています. (2003/06/02(Mon) 12:49:44)
皮算用 >
久々に参加致しました。今回のレス、ザッと拝見していて気になった点があります。青い炎さんが最初に指摘していたのは、土質工学(力学?)を理解せずに、「所定の安全率」などと言う言葉で、のり面の安定検討を「煙に巻く」行為であり、これに対し、御立腹なのでは? この件については、土質を理解する努力を怠る設計屋が悪いのか、土質の説明を怠る調査屋が悪いのか、と言うのが結論だと思いますが、私の勘違いでしょうか。ちなみに私は調査屋ですが、ご指摘の件、かなり後ろめたいです。
安全率1.15については、1.15をクリアするのならちょっとした工夫ですむが、1.2をクリアするには、山全体に対処が必要というのは、あり得る気がします。青い炎さんがご指摘なのは、この様な件のことですよね。私も見解を求められると、答えがありません。ベターなのは降雨量を監視し適宜ストップなのでしょうが、イニシャルとランニングコストを合算した場合にも、この手法がベターになるのでしょうか。いささか不謹慎ですが、5戸の為の道路だったら、ランニングの期間は20年?それであれば初期コストの縮減が優先ですよね。
安全率の割引はちょっとやっかいだと思います。安全率1.2の「2割」は、「人知の及ばない自然に対する畏怖の念」だと私は考えます。また、「著名な地震」で古い土木構造物が案外壊れないこと考慮すると、「緻密な構造計算でスレンダー(クリティカル?)な設計」ということに、多少の疑問を感じます。以上を考慮すると、「安全率1.2」は今後も大切にしてゆくべきかなと考えます。
「安全率1.15」と「安全率の割引」では、多少一貫性が無く、かつ「私の意見」がありませんがご容赦下さい。 (2003/06/02(Mon) 13:58:34)
ずけ > 青い炎さん、拉致問題について簡単にレスします。スレ違いですので、青い炎さん以外の方は読み飛ばして下さい。
私は、今回の拉致問題に対するこれまでの政治家や外務省の対応に怒りを感じています。北朝鮮は日本国の主権を侵したのに、何の対応もしてこなかったからです。主権は絶対であり、何者もこれを侵すことはできません。主権が侵されたのに、そのことに対しては何の行動も起こさず、一方では食料援助や経済援助をしている。何故?と思わずにはいられません。私は、北朝鮮に対しては、青い炎さんがおっしゃるように「経済封鎖」が一番よいのではないかと思っています。そうすれば近いうちに金正日体制は崩壊すると踏んでいます。
拉致された人たちを救う方法は、正直、良い方法が考えつきません。「交戦」はちょっと非現実的だと思いますので・・・。 (2003/06/03(Tue) 02:16:03)
nomu >
設計における安全率は、設計条件の不確実性に対する担保だと思います。例えば、「道路土工指針」に示された土質条件の設定方法によって、設計された場合、土質調査の精密性に欠けるのに、闇雲に安全率を下げることは、無責任だと言えると思います。
◎ 設計条件の不確実性を除去していくことによって、計算の精度が上がっていくと思いますが、安全率をいくらに設定すれば、妥当であるか判断する資料を作成することに非常に多くの労力がかかると思われます。
◎ 所要安全率1.2の場合と安全率1.15の場合で対策費用が全然違うと言う場合、逆に安全率1.15に不安を抱きます。何故そうなるかの原因を探ることで、良い対策案を導き出す方が設計者の信頼を得ることができると思います。
◎ 事業費の少ない事業では、調査や設計に費用をかけることができないため、マニュアルに沿った設計も必要であり、事業費の多い事業では、精密な調査や設計でマニュアルに依らない最も良い案を示すことが可能であると思っています。つまり、マニュアルに依らない設計「性能照査型設計」を行うためには、それに応じた費用も発生することを認識しないとコスト意識云々もないと思います。(2003/06/03(Tue) 13:55:14)
青い炎 >
みなさん、いろいろな意見をありがとうございます。勉強になります。ただし、社会科学者さんのいう技術者の持つ倫理観についてはどうしても腑に落ちないので、もう少し言わせて下さい。技術者の倫理とは決まりごとを守ることでしょうか?「もっといい設計があるけれど、設計基準に書いてあるからしょうがないです。」「そんな過大な設計は必要ないと思うけれど、基準書には書かれてあるのでやはり必要です。」「こんないい工法もあるけれど、基準書に書かれてないので採用しません。」技術者の倫理とは、そんなものなのでしょうか?
私は小さいころ、父に横断歩道を渡るのは赤か青かではなく危険か安全かで渡るように教育されて育ちました。父は「青で横断歩道を渡って、車にひかれてもお前が悪い。危険か安全かは信号を参考にしながら、自分で判断して渡れ。」と幼い私と弟に言っていました。私は自分の子供にも同じように教育するつもりです。青信号に変わった時、左右の確認もせず渡る人や、本を読みながら周りが歩き出すと何も考えずに一緒に歩き出す人などを危険だと思いますが、車の走行が全くない道路で赤信号時にぼけーと待っている人を見ると同様の危うさを感じます。つまり、安全性の基準が、車が走っているかどうかという本質から、信号が赤か青かということに移行しているように思えます。何がいいたいかと言いますとマニュアルを守るということは信号を守るということで、ものごとの本質からは外れているのではないかということです。
千差万別の自然地盤、自然斜面の土質調査で、JIS規格にあわせて試験をしました。そんなバカな話がどこにあるのだろうか?その場、その場にあった試験を自分なりに工夫することこそが技術者倫理なんじゃないでしょうか?設計も同じだと思う。未来の子供からの借金で、将来誰も使わなくなるけれど、維持管理費だけがかかる道路を拡幅して、さらにそれによって斜面崩壊まで起こしているような現場の斜面対策工で大きな構造物を作ってどうするのだ?と私は思う。安全率を切り下げたという私の話はちょっと説明不足というか正確ではありません。私がしたことは、設計をちょっとシビアに考えたということです。土木の設計では、社会科学者さんの言うように土質定数のとり方や地下水位の設定に技術者の独断が入り込む余地が極めて大きく、このため、この決定時に大きな安全率が入り込んでいます。土質定数はこの値が妥当と思われるが安全側を見てもっと低く設定するといったことです。正確には私は最終的な安全率は1.2(必要安全率を変えることはできない)だけれども、設計をシビアに行ったというだけのことです。ただし、崩壊の決定的要因はきちんと除く必要があります(設計の本質)。決定的要因を排除せずに所定の設計を行ってもそれを青信号を渡っただけで、車が通っていないことを確認した行為になっていないからです。
土木の設計は、崩壊すれば致命的であるが、過大であった場合、特に責められることはない。損をするのは納税者と未来の維持管理費の負担者である。だから、とにかく過大になりやすいのではないでしょうか?だからこそ、技術者が持つべき倫理として、安全はコストに優先するという考えを持つべきではないと思う。 (2003/06/03(Tue) 21:22:19)
APEC >
青い炎さん、社会科学者さんのおっしゃっていることは、マニュアルエンジリアリングの問題点ではなく、脱マニュアルが大切だからといって自分だけの独善的な判断で勝手に脱マニュアルすることを戒めておられるのだと思いますよ。
脱マニュアルは性能保証設計ということでもあります。安全率を落とすことも、構造物規格を絞り込むことも、しっかりした調査の上にたって、理論的に正しい手法できちんと設計してあれば、可能ではありますが、それは、その社会資本整備の目的性能を確保していなければなりません。そして、性能確保の照査は、マニュアル通りの設計よりはるかに厳格でなければならないと思います。当然、設計者は瑕疵担保責任も負わねばなりません。設計者一人の独善的な判断は許されないのです。そして、それを「そりゃそうだろう」と思える人格を持つことが技術者倫理だと考えます。 (2003/06/03(Tue) 21:43:55)
社会科学者 >
技術者の倫理とは決まりごとを守ることです。決まり事をこっそり黙って破ることは許されません。自信があるなら裏でこそこそやらずに正々堂々と提案してくださいと言っているのです。「もっといい設計があるけれど、設計基準に書いてあるからしょうがないです。」が技術者の倫理だなんて誰も言っていません。「もっといい設計があるから、設計基準にとは違うけど黙ってやっちゃえ」は許されないが、「もっといい設計があるから、設計基準にはないけど上司や発注者に提案してみよう」なら拍手を送ると言っているのです。
横断歩道の例は全く同感ですが、安全率の件とは状況が全く違います。横断歩道では車にひかれて死ぬのはあなたですから、どう判断しようと勝手です。しかし、安全率を切り下げられて死ぬのは、あなたではなくて山村の住人です。あなたは人の命を預かっているのです。
「その場、その場にあった試験を自分なりに工夫することこそが技術者倫理なんじゃないでしょうか?」はそのとおりです。「安全性を下げずにコストを下げる」、「コストを上げずに安全性をあげる」など、技術者の腕の見せ所はいくらでもあります。しかし、「安全性を犠牲にしてコストを下げる」、これは技術者個人が勝手に黙ってやっていいものではありません。
「最終的な安全率は1.2だけれども、設計をシビアに行った」というのは意味がわかりません。結局、マニュアルからは逸脱していないということですか?それとも独自の判断で安全率を切り下げたのですか?ここは議論の前提条件ですので、もう少しはっきりしていただければと思います。
「技術者が持つべき倫理として、安全はコストに優先するという考えを持つべきではない」というのは、個人的には同感ですが、「コストは安全に優先する」という考えの方が、持ってはならない倫理観です。 (2003/06/03(Tue) 22:00:34)
気持ちはヤング >
青い炎様が言っているのは、計算の個々の要素に安易に安全側の判断をすべきではない、と言っているように思います。その結果、様々な不確定要素を包括した最終的な安全率が、結果的にものすごく大きくなるので、それは技術者倫理として許すべきではない、というとらえ方を私はしております。シビアな設計というのは安易な安全側の判断を排除した設計ということではないでしょうか。そうすると、社会科学者様が言っておられることと、大きな矛盾は無いのではないかと考えます。 (2003/06/03(Tue) 23:24:11)
社会科学者 >
気持ちはヤングさんのおっしゃるとおりかも知れませんね。そうだとすると、青い炎さんは、マニュアルに忠実に従って(=シビアに)設計したことになります。それに対して、他の多くの技術者は、マニュアルから逸脱して勝手に安全率を高めに設定しているということになります。ということは、青い炎さんの主張は「マニュアルに忠実に!」ということになる???よくわかりませんね。たぶん論点は2つあって、「マニュアルにどの程度忠実に従うべきか」と、「安全性とコストのトレードオフでどちらが優先されるべきか」でしょうか。青い炎さん、一度きっちり論点整理をしていただく必要がありそうです。
(2003/06/03(Tue) 23:57:50)
APEC >
気持ちはヤングさんのレスで気がつきましたが、本スレでの議論は、5戸の山村への道路に関する青い炎さんの以前のスレでの「安全性に関する設計性能を、自分だけの判断で切り下げた」というお話が前提になっていますね。確かに本スレでの青い炎さんのご発言では、気持ちはヤングさんの受け取り方になると思います。
そして、青い炎さんご自身が、脱マニュアルにより効率的な社会資本整備をすることで「安全性とコストのトレードオフ」がある現状に対処していくべきではないか、ということだけを論点にしておられるのでは?それを誰がどのように決断して実行に移すかは別問題として。もしそうでしたら、青い炎さんのおっしゃることに賛成です。私が申していたのは、その判断を一技術者が勝手にやっては社会に対する背信行為になるということだけです。以前のスレでのご発言が頭に残っていて、思い込みで失礼なレスをし、すれ違いの議論をしていたらお詫びします。 (2003/06/04(Wed) 00:09:11)
m.i.i >
青い炎さん、技術者の倫理について広義の意味では人(人間)の倫理、道徳感となるのでしょうが、全て個人の神格化を求めるのは(憤りは理解出来ますが極論を展開するには)乱暴ではないのかと感じます。
一つの疑問&質問。盛土、切土等安全率(安定率等)の取り方は細分化はなされていないのでしょうか?「全く意味のない条件設定の土質試験などが平気で行われていて・・・・」とスレされていますが、ここでレスされている発注者の方の反論(意見)を聞かなければこの議論は先に進みそうも有りません。これが(このような事が)横行しているのであれば、大きな問題ですよね。
横断歩道の事例は父親の心理としては諸手を挙げて賛成します。最後は自分の事は自分で決断しなさいと云う事ですよね(己こそ己のよるべ・・・や、『市民ケーン』の中の有名なセリフで「私がしなければならない事を決める人間は、世界中にただ一人、この私自身だ」と云う言葉の通り)。ですが、安全とコストの問題とリンクさせるのはどうなのでしょう?確かに車両の通行頻度が時間あたり3台(このような場所に信号機の設置も無いでしょうが)の道路上でぼんやり信号を待っている人もいるでしょうが、日本人全体がそのような方向性に向かっていると云う危惧感や、切り捨て意識につながる事は如何な物でしょう。
未来の日本(日本人)の為と云うナショナリズムは(少し言葉の用い方が違う様な気がしますが)基本的な民族の根幹たるものと推察しますが、100年後の日本人の為よりも、地球の100年後の意識を考えた議論の中から(マクロからミクロへ)考えてみようと云うおおらかさの視点からも考えてみて下さい。といっても何も提案出来ない私ですが・・・。一つだけ言える事は物事の中道を行くと云う事でしょうか。(註:いいかげんや、曖昧や、優柔不断の意味では無いので念のため)
追伸:APECさん、地球の生き物説。ガイア(ヤ)理論ですよね。只、プレートテクトニクスも生き物ととらえる論法も有った様なので・・。失礼しました。量子力学的から云えば全て生き物になりますよね(石ころ一つも)。脱線して申し訳有りません。 (2003/06/04(Wed) 00:23:54)
ねぎ >
マニュアルは,将棋でいえば定跡のようなものです。いろいろなノウハウがつまっています。しかし,万能ではありません。それに従えば大きな間違いはない,その程度のものです。マニュアルに従うのは必要条件であって,十分条件ではありません。マニュアルを盲信することなく,常にそれ以上のものを追求していくことは職業人として当然の姿勢です。倫理以前の問題であると思います。
青い炎さんは変なたとえを持ち出すのでこまります。気になってこんな時間にレスするはめになってしまいました(ーー;)。私は,どんな小さな道路でも信号は必ず守ります。赤信号をみんなが渡っていても,ぼけーと待っています。理由はつぎです。@急ぐ必要がない,Aいつもは車が来ないことを確認していたのに,考えごとをしていて確認をわすれた,そこへ運悪く車が通りかかりはねられた,というシナリオが怖い(機械は故障するもの,人は間違えるもの),Bドライバーへの気配り(安心して運転してもらう)。青い炎さん,信号は守りましょうよ。特に,お子さんには信号は絶対守るように教えてあげてくださいよ。 (2003/06/04(Wed) 04:48:46)
ガン >
おはようございます。青い炎さん、これだけの人が長文でレスしてくれています。社会科学者さんが言われるように、貴方の真意を、言いたいことを整理して示しましょうよ。私もこのスレだけをみれば同感。ただ、過去レスやスレ「1196」のインパクトが強くレスしました。ここだけを見た人は皆さんのレスの内容を理解できず???状態かもしれませんし、ここでの議論を有意義なものとするためにも早めの整理を期待します。
青い炎さん、社会科学者さんの前レスの件ですが、私もAPECさんと同じように「マニュアル以外の方法を提案するのは賛成だが、それを技術者個人が決めるべきではない」という風に理解しましたが、貴方はそうは受け取れませんでした?だとすると読解力に問題有りかも(笑)。それは冗談ですが、自分の言いたいことが伝わらないイライラから内容を読み違えているのではないですか?
青い炎さん、貴方の意見はインパクトがある。それは、他を切り捨てるような独善的な表現だからだと思います。ついつい「おい、コラ!」と言いたくなる。今回の件でも、脱マニュアルといいながらもAPECさんが言われたように「マニュアルを排除して設計できるか」といえばそうではない。マニュアルを参考にしつつも、常にそれ以上のものを追求する、という点で「マニュアルは十分条件ではない」というねぎさんの表現がわかりやすいかもしれません。とにかく、今回の件、うまく整理して下さい。
信号の件は、わたしもぼけーと赤信号を待つ方です。特に子供達がいる時はですね。それは何故かというと、信号が「安全の最低限の担保」で、子供達には絶対に守らせるべきだからです。守った上で「青でも左右を確認して渡れ」と指導するのです。貴方のお父さんもそう教えたと思いますよ。ですから、ぼけーと赤信号を待つのも意味があるわけです。ご理解下さい。 (2003/06/04(Wed) 07:19:19)
土筆 >
私も現在適用されている斜面や擁壁設計における安全率について疑問に思います。例えば擁壁の場合、現在の安全率の考え方を適用すれば不安定となる擁壁(例えば旧々標準設計を適用した擁壁)が今でも変状無く安定しているものが数多くあります。解析能力が格段に向上した現在、手計算時代に設定された安全率をそのまま適用し続けるのはいかがなものでしょうか?土質基礎の分野での性能設計導入には、まだ々課題が多く時間が掛かりそうです。その前に安全性とコストのバランスを再検討して新たな安全率を設定すべきではないでしょうか?これによるコスト縮減率はかなりの額になると思います。
また、斜面安定における安全率についても、計画安全率を1.2にしなさいと規定している基準書は無いと思いますが?安全率は崩壊した場合の被害の大きさや経済性を考慮して決めるべきものだと思います。ちなみに我が県では、国道の場合1.2、県道以下の場合1.15の安全率が一般的に運用されています。
当然これについては協議・提案した上で決定しています。少し前の道路改良設計では特殊な場合を除き、地質調査等を行わずに土砂の場合1:1.0、軟岩の場合1:0.6〜0.8の切土していた例が数多くあり、それで崩壊した事例は数える程だと思います。しかし最近は、切土計画の際には多くが調査ボーリング等を行っており、その結果、法枠やアンカー等が必要という結果となっているものが大半です。現在は機械・器具を用いた調査や複雑な解析手法に頼る余り、現地での詳細な踏査がおろそかになり、技術者としての意見・判断では無く、数値に頼り安全率で評価してしまうのではないでしょうか?「この山なら切っても大丈夫ですよ」と断言できる技術者が本当に少なくなりました。斜面問題において現状の安定度・安全率や地盤定数の適切な評価は究極の課題です。そのためには経験工学的要素も必要であり、数多くの知見を寄せ集めて判断することも必要だと思います。シビアな調査・解析・設計を行っても崩壊するものは崩壊します。そういう意味で独善的に判断するのは大いに危険だと思います。
最後に、マニュアルは手引き・便覧であり守る必要はありませんが、信号は交通法規であり守らなければなりません。このような自分だけ良ければという考えが日本の退廃の一因ではないでしょうか? (2003/06/05(Thu) 13:33:17)
陶芸家 >
土筆さん。擁壁の新しい安定計算法については、右城猛(うしろと呼びます。高知県独自の名前でしょうか?)さん(技術士、高知県技術士会会長)の本が出版されています。ローカル理論ではありません。ご一読ください。 (2003/06/05(Thu) 16:08:20)