My Note 技術士試験制度改定
2005.11.4

 技術士第二次試験が大きく変わろうとしている。変更の主な内容をまとめると表のようになる。

試験科目 現行 改定案
選択(経験論文) 600字×6枚=3600字 AM3時間 廃止
選択(専門問題) 600字×3枚=1800字
×2問=3600字
PM4時間 600字×3枚=1800字
×2問=3600字
(変更なし)
3時間30分
必須
(部門一般)
択一 20問 廃止
記述 600字×3枚=1800字 600字×3枚=1800字
(変更なし)
2時間30分

 部門一般の択一・記述をそれぞれ1問とすれば全部で4問あったのが、記述問題2問(正確には専門問題が2問あるので、3問)だけになる。そして、時間は午前・午後とも30分ずつ短くなるだけなので、1問あたりの時間がぐっと増えることになる。つまり、残った2問(部門一般と専門問題)はレベルが上がると思われる。また、廃止された経験論文は、筆記合格後、3000字以内・A4サイズ2枚以内のものを作成・提出し、口頭試験の一部として提出する。
 これにより、受験者は択一問題からは完全に解放される。また、経験論文はたっぷり時間を使って書けばいいし、ワープロ打ちできるので、記憶・大量記述、and/orその場での文章構成からは解放される。
 実施予定時期は、H19試験からである。

なぜ今?
 JABEE認定は、H14年から始まっている。そして、H15年度に一次試験免除となった。免除対象は、H14認定プログラムまで遡るので、H15.3修了生も含まれる。この「第一期生」は、H15・16・17・18の4年間の経験を積み、H19に二次試験に挑戦することとなる。
 つまり、今回の改定は、JABEE第一期生の二次試験受験に合わせたものであろう。少なくとも私はそう思っている。
 ただ、これまでも「経験論文を、経験年数4年程度の受験者を想定した内容に変更」などの変更案が出ていた経緯を考えると、今回の大幅な変更は、新制度導入当初からのシナリオではなく、本当に今年決まったもののように思われる。「最初から決めてあった案を、タイミングを見計らって出した」ということではなさそうだ。

目的は?
 JABEE認定を含む新制度導入(技術士法改定)のそもそもの目的は、技術資格の国際相互承認への対応だった。
 相互承認には、
  (1) エンジニアリング系高等教育の修了
  (2) 所定の経験
  (3) 認定試験の実施
  (4) 継続教育制度と、これを条件とした定期的な登録更新

が保証された資格でないといけない。

 JBAEEは、(1)、すなわちワシントンアコードへの対応である。基本的に従前のエンジニアリング課程教育内容でほぼ満足しているのだが、いくつかワシントンアコードを満足していない内容があった。これを整理したのがJABEEで、ISO9001などと同じく、システムを認証することで、そこから吐き出される製品や技術者の質を保証するというものである。大学の独立法人化、大学全入時代の中で、旧帝大以外はJABEE認証取得で大学セールスをもくろむ。もちろん、こういった流れを見越して、JABEEに「文科省からの天下り先」の価値を見出したということも、文科省が熱心に進めた大きな理由だろう。
 一次試験は、JABEEを「高校卒業」に例えた場合の「大検」に位置づけされる。もともとの一次試験は、技術士補を認定するためのものだったが、ワシントンアコード対応にあたり、これを流用したといえるだろう。なお、「JABEE修了者が一次試験を受けたら100%受かるわけではあるまい。だから一次試験免除は不公平だ」との議論があるが、これは「高校卒業生が大検を受けたら100%受かるわけではあるまい。だから大検制度は不公平だ」というのと同じだと思う。
 ただし、前だけ書いたら「可」がもらえるとか、以前の大学に時折見られたいいかげんな単位認定をするなどして、JABEE課程がいいかげんに運用され、レベルの低いJABEE修了生が大量に生まれたら、「一次試験免除」は危うくなるだろう。

 さて、国際相互承認というが、その実はアメリカはじめ欧米との相互承認である。そのアメリカでは、技術士にあえて相当するものはPEだが、これは40万人からいると言われる(州ごとの認定なので、日本とはカウント方法が違う)。これに対して日本の技術士は当時4万人。圧倒的に少ない。このまま相互承認により解放したら大事である。
 そこで国は技術士を増やそうとした。なぜなら、当面の相互承認資格であるAPECエンジニアにそのままなれる資格だからである。技術士は登録更新制をとっていないので、そのまま相互承認資格にすることはできないのだ。

 技術士を増やすという命題に沿って、まず(2)の経験年数が7年から4年に緩和された。「監督者の下で」という条件はついているが、経験年数7年以上の技術者が監督員ということにして、書類さえ整えればいいのだから、こんな制限はあってないようなものだ。
 こうなると、経験の浅い受験者が出てくる。従来の試験ではなかなか合格できなくなってしまうから、試験のハードルを下げた。H13試験から、合格基準を、従来の各科目60%&総合で70%→各科目60%&総合でも60%に変えたのである。これは効いた。記述文字数がどうとかいう以上に効いた。
 ちょっと計算してみよう。
  受験者の得点分布が正規分布、平均点40点、合格率15%と仮定すれば、
  U=平均値50+uσ=70点において、uは、確率が0.35(50%-15%)であるから1.04(u表より)なので、σ=(70-40)÷1.04=28.96
  ここでU=60点とすれば、40+u×28.96=60より、u=(60-40)÷28.96=0.69
  u表より、u=0.69のときの確率は0.2549≒25%。50%−25%=25%

つまり、ボーダーを10点下げると、合格率が10%ほどアップすることになる。もちろんこれは平均点などがいいかげんなので信頼性は低いが、実際の合格率が、H11:15.6%、H12:15.5%→H14:22.1%、H15:26.1%と変化したことを考えると、あながち意味のない試算でもないだろう。合格率が10%アップすれば、受験者数が15,000人として1,500人の合格者増である。
 この荒業で技術士は確かに多少は増えたのだろうが、受験者がそもそも少ない。一次試験必須化前の駆け込み(H14)、必須化直後の落ち込み(H15)を経て、H16は受験者数が16,000人あまりであった。合格率が仮に25%でも、1年に4,000人。実際は複数部門合格もいるから、せいぜい3,500人というところだろう。これではH16時点で5万人ほどの技術士を10万人にするのに15年近くかかる。
 うーん、これではダメだ、もっと一気に増やしたい・・・・ということで、一次試験必須化+JABEE認定による受験者増と、それにタイミングを合わせた試験ハードル調整のダブル対策できたのではないかと思うのだ。
 平成16年度で、JABEE認定卒業生は、認定プログラムが約170、各プログラム修了生が40人ずつとすれば、6,800人、一次試験合格者が23,000人/年程度なので、圧倒的に一次試験合格者のほうが多いのだが、まあ両方合計すれば30,000人程度が毎年新たに修習技術者となっているわけで、これがそのまま二次試験に流れれば、合格率25%で7,500人、33%で10,000人の技術士が新たに生まれる勘定になる。これなら5〜6年で10万人に達するわけである。
 細かい話になったが、このように、
  (1) 合格ボーダーラインを下げる。
  (2) 一次試験必須化+JABEE認定による受験者増
  (3) 試験ハードル調整
の3方法で技術士増を狙ってきたといえるだろう。そして、(1)と(2)はすでに実施済、今回は(3)ということだ。私は、(3)によって、合格率をさらに10%程度上げてくるのではないかと思っている。そうなると、30,000人受験×35%=10,500人合格ということで、これを5年もやれば「技術士10万人作戦」はめでたく成就というわけである。

そんなことしてもいいのか?
 そのように様々な策を講じて技術士数を増やそうというわけだが、それで本当にいいのだろうか?

 技術士数が増えると、技術士の市場価値が下がり、生き残りのため、あるいは勝ち上がるため、競争が始まる。競争は質の向上、さらにいえばコストパフォーマンスの向上を生むと期待される。
 その反面、技術者は安寧とはしていられない。これは「楽して儲けたい」技術者には困った話だろうが、納税者&エンドユーザーである国民からみれば、結構な話であるはずだ。掲示板でも、技術者としての視点からの議論が圧倒的に多い気がする。国民のため、世のため人のために何がいいかという視点で考えないと、「自分が、自分が」では、やがて国民の信頼を失うのではなかろうか。

 質を保つための方法として、市場競争に任せる方法と、厳しい選抜(試験レベルの高度化など)がある。いずれもメリット・デメリットがある。
市場競争に任せると、玉石混交だから、評価は試行錯誤の中でなされていく。質の悪い技術者は質の悪い仕事しかできないから、次第に淘汰されていくわけだが、そこまでの過程で「失敗作」がいっぱい出てしまう。公共インフラにこれはまずい。
 そこで、質をしっかり見定める必要が出てくる。そのためにあるのがプロポーザルや業務評定、技術者の点数評価などだ。これまでは「やったほうがいい」程度のものだったが、品質確保法が施行されたので、義務化に向かうだろう。
 つまり、プロポ業務がぐっと増えると思われる。ところがそうすると、評価する側の力量が問われる。このあたりは業務評定にもあるようなマニュアル化された評価表が活用されるだろう。当面はこういったマニュアル化による技術力の平準化が主に用いられるだろうが、性能設計が一般化されてくると、そうもいかなくなるだろう。

 質を保つためのもう一つの方法として、試験による選別がある。つまり、技術士の名を冠する技術者は、厳選された、高い技術力を持つ者だけであるというシステムである。
 これは非常にわかりやすい。技術士=高い技術力の保証書であるからだ。しかし、本当にそうだろうか。実は例外はいっぱいある。なぜなら、資質向上をサボっている技術士、名前だけの技術士がいっぱいいるからだ。その極端な例が「名義貸し」である。その本人の質が高い低いなど関係ない。なぜならその本人は仕事をしないからである。それならそのような者の技術力を保証する必要はないので、その非実務技術士については、技術士制度は無力だということになる。

 つまり、質を保つ上での問題として、
  ・技術士になりやすくした場合に、質の低い技術士に当ってしまう
  ・技術士試験難度を上げた場合に、取得後の資質向上をしていない技術士に当ってしまう
という、2つの可能性がある。
 前者の危険性を排除するための方法としては、実務を任せる時点(発注時)の選別(プロポなど)と点数制による評価点などがある。後者については、プロポや業務評定における自らの説明などのような選別方法と、継続教育条件付き登録更新などがある。
 建設分野においては、いずれも実施されつつある。すなわち、質の悪い技術士は、それが「試験がやさしかったから」であれ、「実務をやっていない名前だけの技術士だから」であれ、市場から排除される方向に進みつつある。
 であれば、乱暴な言い方だが、試験難度はどちらでもいいのである。評価システムがきちんとできていれば、国民に対する良質なインフラ提供の責任は果たせるので、資格試験難度がやたらと高い必要はなくなってくると考える。ならば、国民の選択肢は広いほうがいいし、コストパフォーマンスもよいほうがいい。ということで、技術士を増やすことには賛成なのである。

 建設以外の分野ではどうだろうか。
 市場要求があれば、すなわち、質の保証を市場が必要とするならば、何らかの選別方法は自然と生まれるだろう。きっちりした制度(デジャスタンダード)か、事実上の標準(デファクトスタンダード)かはともかく、いずれ何らかの「選別基準」ができるはずだ。
 もしそういうものがないのであれば、その技術分野では、技術士に対するニーズが少ないのだ。

技術者はどうするのか?
 新制度は、「技術士資格は、昔ほど苦労しなくても取れるようにしてあげる。だけど、その後は市場競争が厳しいよ」というものである。試験に合格して資格を取ったからといって、ぬくぬくしていてはいけないよ、実務ができなくなったら仕事も来ないよ、という、大変厳しいものである。楽はさせてもらえない。
 おそらく、こういった方針には大多数の国民は賛成するのではないだろうか。日本の弁護士は2万人に満たない。だから依頼すると大変高額だし、ふんぞりかえっている。裁判も大変長引く。これが増えることは、依頼費用の低廉化、サービス向上、裁判スピードアップに寄与する。大多数の国民が歓迎するだろう。それと同じだ。
 その一方で、質はばらつく。アメリカには弁護士は90万人いるといわれる。「アンビュランス・チェイサー」、すなわち、救急車の後を追いかけて、けが人に訴訟を勧めて仕事をゲットしようとすると言われるくらい、仕事をもらうことに必至である。市場競争が大変厳しい。腕前もばらつきまくっており、大変困難な訴訟に勝って巨万の富を手にする弁護士もいれば、ゴロツキに近いのもいる。安い弁護士を頼むのはリスキーである。つまり、クライアント側には、選択範囲が広がるかわりに自己責任が生じる。
 そういった中で「のし上がる」ためには、腕をあげることと、個性を発揮すること、そして自己PRが求められる。
 これからの技術者は、これまでにも増して、そういったことが求められるだろう。それは役所が求めるのではない。自分自身が技術者として大成するために必要な資質として、世の中が求めるのだ。
 逆に、技術士が「なかなかなれないもの」「レアなもの」つまり貴重な資格であってほしいと思うならば、「それは一般国民の感覚と同じか?」ということを自問する必要があろう。自分の目指しているもの、あるいは持っているものの価値を下げたくない気持ちはよくわかる。しかし、「世のため人のため」<「自分のため」になってしまったら駄目である。
 「あなたはどんな仕事をしていますか?」
 「はい、私は世の中の役に立つ仕事をしています。」
 「それは、どんな仕事を通してですか?」
 「はい、技術者という仕事を通してです。」

胸を張ってそう言えるだろうか。技術者に限らない。
 世の中の役に立つために自分を投げ出せる人が世の中に信頼される。自分が得をするために世の中を欺く人は世の中に捨てられる。そうはならずに、「正直者がバカを見る」ことが多い世の中ではある。それゆえに、時にはウソをつくこともあるだろうが、本来はどうあるべきか、ということだけは心の中にしっかり持っていたいと思うのだ。