My Note バンパク
2005.3.25

今日、仕事で岐阜へ行ってきた。養老SAに入ったら、やたらとガイジンさんが多い。
ん?と思っていたら、TVで愛知博の開会式を中継している。あー、それで・・・・と納得した。
改めて見回すと、子どもがやたらと多い。
ん?と思って考えたら、昨日が終業式だった。あー、それで・・・・と納得した。
なんかオレ、何にも知らずにいるなあ・・・・と自嘲気味にニヤッとしてしまったのである。

大阪万博は私が10歳のときだった。太陽の塔がカッコよくて、雑誌やTVで見ては、行きたいなあとワクワクしていた。
ある土曜日、帰宅したら親父が同僚と急に万博に行くから一緒に行くかという。もちろん大喜びで車に乗り込んだ。
アメリカ館とソ連館というベタベタの人気館周りをしたが、そのおかげで時間がなくなってきた。
やはりここは太陽の塔だというので、「ここを通っていったらきっと近道だ」と東ドイツ館か何かに入った。ところが出てきたら元の場所。
もう時間がないので、太陽の塔はあきらめて帰路についた。悔しいよりも疲れていたので正直ほっとして、帰りの車ではぐっすり寝ていた。

昨年、地質調査技士の登録更新講習会が万博公園近くであり、実は生まれて初めて太陽の塔に「触って」きた。間近に見る太陽の塔はやはりデカく、胸が高鳴った。部下が一緒にいたので、あまり長い間ボケーッと見ているわけにもいかず早々に後にしたが、できたら1時間程度はじっと見ていたかったなあと思う。
太陽の塔、月の石など、夢をかきたてるアイテムが揃っていたし、高度成長経済を受け、また前年にはアポロ11号が月着陸に成功しており、間違いなくあのころ未来は明るく見えていた。「4年の科学」などには、1980年代には月に恒久的な基地ができているだろうと書いてあったし、エアカーが飛び回りロボットが生活の中にいる21世紀未来マンガがはやりだった。
水俣病やイタイイタイ病、田子の浦のヘドロなどの「公害」、安保問題や日本赤軍などが影を落としていたが、それでも未来は間違いなく明るく見えた。

だけどそんな中、大阪万博のテーマは「人類の進歩と調和」だった。今でも感心するのだが、それってまさに「持続可能な開発」ではないか。30年以上前に、未来を見通していたのだろうか、なかなかのものではないかと思うのだ。


2005.3.25 ブログに掲載