My Note 学校へ行こう!
2004.1.30

学校へ行こう!

京福コンサルタント株式会社 鳥居直也


 我が国は科学技術立国として、戦後の復興と高度経済成長をとげ、今日の生活水準を築き上げてきた。これを支えてきたのは、世界にも類を見ないといわれる日本人の教育熱心さに支えられた教育体制であることは論を待たない。ところが家庭や地域が教育力を失い、子どもの人格形成を学校に押し付けてきた結果、学校は基礎教育内容を厳選せざるを得ない状況に追い込まれてしまった。そして今、「子どもの理科離れ」が急速に進んでいると言われている。
 今、学校は理科離れを食い止めようといろいろ試みてはいるが、先生は時間がなく、また自然科学に造詣の深い人材に十分恵まれているかというと疑問も残る。今こそ我々技術者は、明日の科学立国・日本を支える一助として、学校教育に積極的に協力すべきではないだろうか。

1.学校は今、どうなっているのか

 平成14年度から、学校は週5日制(週休2日)となった。また、「総合的な学習の時間」が導入された。これらに伴い、国語算数理科社会といった「教科」の時間が削減された。
 これに伴い、教科書はぐっと薄くなった。「教える内容の厳選」の結果である。よく知られているように、円周率は3.14から「およそ3」となった。全体として、教える内容はざっと3割削られている。たとえば東京書籍の理科の教科書(6年生)は、上・下巻に分かれているが、それぞれ厚さ3ミリ弱、ページ数は50ページ強である。
 これによって、学校は「学力の保証」をうたっている。教える内容を厳選し、最低要求ラインを下げることによって全員に理解させるとともに、知識偏重から学習意欲・思考力・問題解決能力などを重視したものとすることで、トータルな学力を維持しようということである。
 さらに、習熟度別授業というものがある。従来の授業では、理解できずに取り残される子がいる一方で、能力のある子はそれをもてあましていた。そこで、ある授業の時だけクラスを組み替えて、基礎的な学習をするグループと発展的な学習をするグループに分けようというものである。その他、子どもの成績の絶対評価、先生の質確保のための様々な方策など、いろいろな点で変わっている。
 このような新しい教育システムには賛否両論があるが、その原因を作ったのは「親」である。家庭が教育力を失い、それを学校に押し付けてきた結果、学校が子どもの人格形成まで面倒を見るという事態に至ってしまった。学習内容の削減はその結果であるにもかかわらず「学力低下」を口にするなど、盗人猛々しいといえよう。
 それはそれとして、今、子どもの「理科離れ」が指摘されている。アンケートなどによると、理科に興味を示す子どもはどんどん少なくなっているとのことである。これは科学技術立国・日本の将来を考えたときに、由々しき問題であるといえる。
 なお、理科において小学生が習う、土木建設分野に関連した内容では、たとえば5年生の「流れる水のはたらき」、6年生の「大地のつくりと変化」などがある(東京書籍の教科書の場合)。










2.事例紹介〜化石採取

 これまでにビオトープ作りや火起こし体験などいくつかの体験活動支援を行ってきたが、その中から化石採取を取り上げて紹介する。
 高浜町音海千畳敷には、新生代第三紀中新世の貝化石を多産する凝灰質砂岩から成る海食台が広がっている。6年生2学期に地質学の学習をするので、これに合わせてここで化石採取の体験活動を行っている。今年で6年目になるが、子どもたちは毎年喜んでくれる。これまで西津小学校・雲浜小学校・口名田小学校で実施している。
 同様の化石採取は、福井県児童科学館・福井県地質調査業協会共催で、越前海岸でも毎年夏に「化石を探してみよう」という親子行事として行っている。また、平成15年度からは小浜でも教育委員会主催で同様の行事を始めている。
 ハンマーとタガネで砂岩を割るが、子どもの力ではなかなか割れない。そのうち、層理面に沿って叩くと割れやすいことを知る。貝殻が層理面に平行に入っていることも知る。化石の多い層準があることも知る。地質学・堆積学の基礎を、自分の体と工夫で学習していくのである。
 昼休みは磯でお弁当を食べる。そのあと、いつも磯の小さな貝をとって、焚き火で焼いて食べる。「マーケットでは売っていない食べ物」に最初は尻込みしても、後のほうになると夢中で貝を採ってくる。食べ物は自然の恵みであること、それはきれいな海だからこそ可能であること、だから我々は海も川も汚してはいけないんだということ、そういったことを伝えたいと願っている。
 学校に戻ると、標本箱に入るように標本を小割りにしたあと、できる範囲で鑑定する。時間もないし標本のクリーニングもしていないから、正直なところ結構いいかげんな鑑定である。属までしか鑑定しないが、多少あやふやでも名前をつけるようにしている。また和名だけでなく学名まで記載するなど、できるだけ「本物」に近づけるよう意識している。
 子どもたちはいろいろな感想を持っているようだ。岩石、化石、磯の生き物、焚き火料理と盛りだくさんだったから、その子の興味のあるところで、いろいろなことを考えているようである。











3.子どもたちに何を伝えればいいのか

 我々技術者は、学校教育への協力をすべきなのだろうか。私はすべきだと思う。子どもの理科への興味を引き出すきっかけになりそうなことであれば、社会をあげて実行すべきだと思う。そうしないと科学技術立国・日本の将来はないからである。
 世の中に役立つものを作ると売れるから企業はもうかる。役に立たないものは売れないから企業は淘汰される。従って、企業は利潤を追求していればよい・・・・これは古い自由競争社会の考え方である。企業の社会的責任(CSR)やトリプルボトムラインのような企業評価尺度が普及しつつある。社会貢献は企業の責務でもある。
 では、何を伝えればいいのだろうか。理科の知識を与える必要は必ずしもないと思う。そのようなことは学校で基本的なことを習えばよい。それよりも大切なものが2つあると考えている。
 1つは「好奇心の刺激」である。化石採取の時に見ていると、子どもはいろいろな行動をしている。化石を一生懸命とっている子、風景を眺めている子、磯の生き物に興味を示す子、いろいろである。もちろん化石や地質学のことを教えているわけであるが、磯の生き物であってもかまわないと思う。「理科大好き」への第一歩は好奇心への刺激であると思うからだ。実際、感想文などを見ると、岩の割れ方、化石の産状、地質時代、地殻変動、磯の生き物など、様々なことに興味を示している。要は学習しようという動機付け、インセンティブ付与である。
なお、好奇心が刺激されたときは、知識も入りやすくなっている。私も子どもの疑問にできるだけ答えられるように、磯の生き物についても勉強した。
 2つめは、「知恵の訓練」である。タガネを立てて層理面に垂直に割ろうとしてもなかなか割れない。ちょっとタガネを横にして叩いてみる。層理面にタガネがうまく入り、パカッと割れる。感動。少しの力でこんなにうまく割れるんだ、なぜだろう、と考える。試しに別のところでもう一度やってみる・・・・「やってみて、考えて、またやってみる」。これこそが知恵の訓練だと思う。こちらは体験を通じて学習する。つまり一種のOJTである。
 すなわち、好奇心を刺激し、知恵をつける訓練をすること、インセンティブの付与とOJTによるスキルアップ、これが「理科好き」な子どもを育てるために大切ではないかと考える。


4.知恵・暗黙知

 「知恵」は「知識」とは違う。さまざまな経験の中で知識が結びついて知恵が生まれる。知恵は様々なノウハウやスキルでもある。すなわち、「暗黙知」である。我々が子どものころ、学校では教科書に載っていることを教わった。形式知である。そして日常生活の様々な局面で知恵を育てた。暗黙知である。
 今、入社してくる若者を見ていると、知識はそこそこにあるのだが、知恵がないと感じる。頭の中に「知識の本棚」があるのだが、どの本を出したらいいかわからないようである。知識と知恵、形式知と暗黙知のバランスがとれていないと感じる。後者が不足しているのである。
 実は学校でも同じことを感じる。今の教科書は、きっかけとなる知識やテーマを与えるだけになっており、知恵を引き出そうとしているのがよくわかる。しかし子どもの生活体験が貧弱なので知恵も貧弱である。さらに週5日制・総合的な学習の時間の導入で、教科に割ける時間が少なく、なかなかじっくり教えられない。「ゆとり教育」といわれるが、ゆとりが必要なのは子どもよりも先生ではないかと思う。すなわち、家庭や地域で知恵をはぐくむことなしに、学校だけで知恵を育てるのは生半可ではない。
 なお、この知恵に「健康」「博愛」などを加えたものを学校では「生きる力」と言うが、これこそが本来は家庭や地域で教育すべきところを学校に押し付けてしまったものなのである。
 さて、我々は新入社員にOJTでノウハウやスキルを教える。すなわち、知恵・暗黙知を教育している。同じように子どもたちにも知恵を与えること、これこそ我々社会人が今できることではないだろうか。欧米ではこのような存在をワイズマンという。直訳すれば「賢い人」であるが、知識を持っているだけではない。それを使いこなし、力強く生きる術を知っている、「知恵ある大人」のことである。
 特に土木建設分野では、昔から技術者育成はOJTで行われてきた。だから熟練技術者は知恵がある。時に経験偏重となり体系的な基礎知識が不足する人もいるが(これも逆の意味で形式知と暗黙知のバランスがとれていない)、とにかく知恵はある。こういう人が、地域の「知恵ある大人」として、「理科好きの子ども」を育てるために一肌脱いでもらいたいものだと思う。別にむずかしいことをしゃべり、教える必要などない。方言丸出しでもいいから、自分が技術者としての経験で身につけたものをそのまま出せばいい。教える対象が新入社員から子どもに変わっただけである。もちろん扱い方は異なるが、OJTすなわち経験を通じて、知恵を教えるということは変わらない。
 今、学校・家庭・地域に加えて、地域教育活動を行うボランティアやNPOが数多く設立され、活動を始めているが、これは「第4の教育力」と呼ばれ注目されている。こういった活動にどんどん飛び込み、また企業はこれを後押ししていただきたいものだと思う。短い目で見れば企業の利潤には結びつかないが、科学技術立国たる日本において、「理科好きの子ども」を育成することは、長い目で見れば、きっと国の発展に結びつくと考える。


4.あとがき

 このような体験学習支援をしていると、身につきやすくなる力がある。それは「知の移転」である。自分の中にあるノウハウやスキルといった暗黙知を、言葉などの形式知に変換する力である。これはすなわちナレッジ・マネジメント能力でもある。
 相次ぐ産業事故に見るように、リストラなどで熟練者のノウハウ・スキルが失われていった結果、企業の品質・安全に関するマネジメント能力は急激に低下しつつある。これは日本の技術力低下に直結する。H2Aロケットの品質管理ミスによる打ち上げ失敗により、おそらく日本の商用衛星市場への参入の道は閉ざされてしまった。同じような事例は山のようにある。知恵が乏しくなると、頼るものはマニュアルだけになる。こうなるとマニュアル・エンジニアしか育たなくなってくる。
 現場から知恵が失われ、将来を託すべき若者にも知恵が備わっていないとすると、日本の将来はお先真っ暗である。だからこそ、子どもたちの「理科離れ」を食い止め、知恵ある人間を育てることを、学校にだけまかせておけばいいと考えるべきではなく、社会人としても企業としても積極的に支援していくべきではないかと考える。
 そしてそれは、我々にとってもナレッジ・マネジメント能力の向上というプラスをもたらしてくれるはずである。失われつつある暗黙知を企業の財産として固定化し標準化するナレッジ・マネジメントは、今後の企業における技術力維持向上・人材育成・生き残りのキーワードではないかと考える。


2004.01.30 福井県建設コンサルタント協会事例発表会にて発表