My Note 韓国漁船逃走
2005.6.5

韓国漁船が違法操業をし、日本の海保と韓国の海洋警察庁がにらみ合い、政治決着した事件で、韓国側から船員が殴られたことに対する損害賠償請求訴訟を起こすらしい。
これに対して一部掲示板などで猛烈な批判が巻き起こっている。

でも、これはちょっと納得できないと私は思うのだ。
事件の政治決着を批判する意見、これはまあわかる。同意するかどうかは別として、意見として筋は通っていると思う。
でも海保職員が船員を殴ったかどうかなんて、きちんと調べないとわからないはずだ。本当に殴ったのなら提訴するのはまあ筋は通っている。やむをえない原因があって無罪放免となったとしても、とにかく殴られたという事実があるのなら、提訴すること自体は問題ない。「殴るはずがない」と決め付けることはできないはずである。まして相手側漁船に取り残された状態で逃走しているのだから、精神的にもかなりテンパッてしまったとしても無理はないから、可能性なしとは言い切れないはずだ。
「韓国の肩を持つ」のでは断じてない。韓国に対する政治的態度などを論じることと、事実関係が確定していないのに主観的(あるいは感情的)に断定してしまうのは違うといっているだけだ。

ナショナリズムはしばしば偏狭を生み、事実を正しく見る眼を濁らせる。
例えば南京事件。30万人なんて数字はでっちあげだ、そんなに殺せるわけがない→だから事件そのものもでっちあげだ、というムチャクチャな理論を平気で振り回す人もいる。自分の考えに都合の良い情報ばかりを選択的に集めて、それを客観的証拠であるかのように列挙する人もいる。

右だ左だのと言っているのではない。ナショナリズムを批判しているのでもない。
正しく客観的に判断することが必要なことと、自分の信条にしたがって発現してもかまわないことの区別がつかなかったり、情報を選択的に集めてしまったりすることは、避けるべきだと言っているのだ。
技術者・技術士として欠くべからざる資質であるのは無論、社会人として必要な資質だと思う。

繰り返すが、誰かを批判しているのではない。掲示板をいろいろ見ていて、こういうことはすべきでないなと思ったことを書いているだけだ。  

2005.6.5 ブログに掲載