My Note 嬉しいメール
2005.1.16

今日は、最高に嬉しいメールをいただいた。
長年の間、仕事が忙しく準備ができない中での技術士試験を続け、合格できずにいる間に試験制度も変わり、熟年技術者には高い一次試験のハードルの前にあきらめかけていたところ、私のHPを見つけて合格できた、という便りである。
50歳前のこの方は、この合格をバネに再度奮起されたのだろう、技術士取得に向かってがんばるとおっしゃっている。
自らの技術者人生に希望をもつ頼もしい若い方からの合格報告ももちろん嬉しいが、こういった熟年技術者の方の合格報告は、私にとって何よりも嬉しい。

私は今般の技術士制度・受験制度の改定には、基本的に賛成である。「高度な技術者」「技術者の中の技術者」を試験によってではなく実務の中での競争を通して決めていく・選抜していき、試験はそのレースに参加するためのパスポート付与にすぎない。「技術士だから全面的におまかせでOK」ではなく、ユーザーにも選ぶ力が要求される。だからこそ、信頼と評価およびそれについてくる仕事は自分の実力で勝ち取る。技術士という肩書きにぶらさがっているだけでは評価も仕事も得られない。そういう社会が望ましいと思う。もちろん、実社会・試験ともなかなか理想通りにはいかないし、現実の汚い部分も厳然と存在する。しかし、それらは進むべき方向が誤っているということにはならないと思う。
このような競争原理に立脚する一方で、国際化対応の中で「体系的なエンジニアリング高等教育」も技術士に求められるようになった。現場のたたき上げで、他のことは知らないが、自分の専門分野では右に出るもののいない「職人」は、排除される方向である。JABEEは「そういうのは技能者(テクニシャン)と呼ぶ。技術者(エンジニア)とは違う」と言う。実際、一次試験は科学技術に関するオールマイティな知識を要求する。

このような今回の制度改定で一番割を食っているのは熟年技術者ではないかと思う。どんな改定でも、必ず負の部分というのは出てくるから、それ自体は仕方がない。しかし、そのことに関して、あまりにもケアがなさすぎるのではないか、これでは切捨てではないかという思いがある。
熟練技術者は、終身雇用制度の中、仕事一筋、それも自分の専門一筋に打ち込んできた人が多い。結果、自己啓発や技術向上に関して、自分の専門分野に偏向していたとか常に積極的に努力してきたとは言えない部分もあるかもしれない。
しかし、今になって科学技術全般の知識がないからアナタはダメとか、だから技術者として日の当たる場所から退場しなさいとか、そんな冷たい社会は私は願い下げである。
選択・競争・自己責任、それはその通りである。技術士制度改定に賛成であるように、その考え方には賛成である。
しかし、「自分で選んだ道だから、競争に勝てなかったらもうダメ。それが自己責任」ではないと思う。なぜ負けるとか責任をとるとか、ネガティブな発想ばかりになるのだろう。それでは「勝ちたい」ではなく「負けたくない」という発想になってしまい、「自分ががんばって先に行く」のではなく、「追い落として自分より遅い者を作る」方向に走ってしまう。「自分が人より速い」ことと「自分より遅いヤツがいる」ことは違うのだ。
自分の意志で選んだ分野で、自分の力を磨き、大いに競い合えばいい。一つの種目で結果がよくなければ、別の種目に出てもいいし、2レース目に出てもいい。それぞれの結果は人のせいにはしない。自分の努力の結果として受け止め、次への糧にする。それが選択・競争・自己責任ということではないか。社会の敗者を作るための考え方ではないはずだ。
そして、試験でも何でもそうだが、失敗して人から遅れたらもうダメ、巻き返しはムリ、というように深刻に捉えすぎてはいないか。冷たい上に偏狭では、あまりに潤いのない社会ではないか。
もし、今の社会がそういう冷たい社会になろうとしているのなら、私は自分にできることを通してそれに抵抗する。
もし、競争の中にも連携していこう、先に行ける者をさらにがんばれと励まし、遅れる者にもやはり励ますことのできるような考えや社会がたとえ一部にでもあるのなら、私は自分にできることを通してそれに参加する。
技術士・RCCM応援ページも、PTAやNPO・ボランティア活動も、そう考えてやっている。たとえ社会の進んでいる方向がどうであれ、自分の信じる方向で行動する。だから継続するエネルギーも沸いてくる。自分なりの信念に基づいて「選択」したことだから、その結果は良くも悪くも「自己責任」として自分で受け止める。

熟年技術者の中には、制度改定の中で疎外感や絶望感を持っている人もいるかもしれない。そういう人に一緒にがんばりましょうと呼びかけたい。問題傾向を絞り込み、受験テクニックも駆使して効率的に勉強すれば何とかなります。そのお手伝いをしますから、一緒にがんばりましょう。しんどいとは思うけれど、ここでがんばって道が開ければ、これまでがんばって身に付けた豊富な経験が花開くはずなのだから。


2005.1.16 ブログに掲載