My Note 千羽鶴
2005.6.20

JR脱線事故で、瑞浪市の中学生6人が千羽鶴を折り、尼崎市長がそれを献花台に届けたというニュースがあった。
その6人は3年生で、学校生活を手助けする「支援員」の職員と一緒に「相談室」で学んでいるとのことだった。
胸がふさがれるような思いがした。自分たちから自発的に行動したのか、支援員さんに勧められたのかはわからないが、とにかく自分のことではなくて多くの人のことに思いを寄せたろう。
くだんの中学生6人のことはよく知らないが、決して順風満帆とはいえない状態にあることと思う。
人間は誰も幸せになりたい。自分も幸せになりたい。そう思うのと同じように、皆も幸せであるべきだ、幸せであったらいいなと思うことは、不自然でも、女々しくも、欺瞞でもない。
もしかすると、普通に学校生活をエンジョイしているとは言えないであろう子供たちだからこそ、幸せになりたいという思いが強いのかもしれない。そしてそれを同じように他人にも向けられるのかもしれない。そう思うと胸がふさがれる。
誰しも幸せになりたいから、そのためにがんばりもする。「能力」というのはそれを助けてくれる。だからスキルアップに努める。そうすると、風が吹けば・・・・ではないけれど、スキルアップの結果の優劣が幸せの尺度のように思えてくる。時には勉強であり、集団への「同化」であり、資格取得であり・・・・
もちろんがんばらなければならないのだが、自分を大事にしてほしい。そして自分を大事にするのと変わらず皆を大事にしてほしいと思う。大人も子どもも。
・・・・こんなことを考えるのは、ちょっと疲れて気持ちが沈んでいるせいかもしれない。


2005.6.20 ブログに掲載