技術者倫理エピソード 経営者の帽子・技術者の帽子 〜スペースシャトル・チャレンジャー号事件〜

 技術者倫理に関する代表的なエピソードをご紹介しましょう。1986年のチャレンジャー号爆発事故に関する2人の技術者、ロバート・ルンドとロジャー・ボイジョリーの行動です。

 チャレンジャー号爆発事故は、ブースターロケットのシール部品であるOリングというゴム製品が、低温(打上時の気温は−3度)で弾性を失い、高熱ガスが漏洩して貯蔵タンク内の燃料に引火爆発したものでした。
 実はOリングがちゃんとシールできないことは、不確実ながらも予測されていました。主任技師のボイジョリーは、温度と弾性の間の相関関係を知っており、低温になるとシールの信頼性が保証できないことを知っていました。ただ、正確に何度でそれが起こるかを予測できないでいました。
 ボイジョリーの所属するモートン・チオコール社の経営陣は、この問題をにわかには受け入れられないでいました。そして、NASAとの新規契約を強く望んでいた経営陣の一人メイソン副社長は、正確なデータを出せない技術陣の責任者であるロバート・ルンドに、「技術者の帽子をぬいで、経営者の帽子をかぶりたまえ」と言ったのです。

 結果、技術陣の勧告は無視されました。ボイジョリーは最後まで経営陣を説得しようと試みましたが無視され、チャレンジャー号は予定通り打ち上げられ、73秒後にOリングのシール不良が原因で爆発しました。
 ルンドは経営者の側についたとしてずっと非難されることになります・ボイジョリーは惨事を防ぐことはできませんでしたが、彼なりの専門職責任を実行したと認められました。

 このチャレンジャー号事故の事例は、「科学技術者の倫理」など多くの文献で紹介され、技術者倫理に関する代表的事例として知られているとともに、いくつかのテーマを見出すことができます。

誰が非難されるべきなのか?(経営者と技術者)
 チオコール経営陣の行動は糾弾されるべきものでしょうか?技術陣の勧告したOリングの問題は、正確なものではありませんでした。すなわち、打上時の低温でOリングがシール不良となる可能性、さらにそれがもとで重大事故が発生する可能性は、予見できたものの定量的ではなく、あくまで「リスク」でした。それゆえ、チオコール経営陣は、そのリスクと会社利益(NASAとの新規契約)のトレードオフの中で、リスクを保有する決定を下したといえるでしょう。安定した契約確保と利益確保は、社員とその家族の生活を守るという企業倫理の1つでもあるのです。※ただし、ここには功利主義の重大な問題が潜んでいます。功利主義とは最大多数の最大幸福という評価尺度で倫理的判断を下すものですが、その「最大多数」は社会全体でなければなりません。自社の社員や家族ましてや経営陣などに限定してはいけないのです。その点で、この時の経営陣の判断は倫理的に正しいと言い切れるかどうか疑問が残ります。
 非難されたのは、経営者の側についたルンドでした。彼は、企業倫理と技術者倫理の間にたち、企業倫理をとってしまったことが非難されたのです。
 このあたりの感覚は、いかにもアメリカ人的です。前年の日航機墜落事故でも、ボーイング社が自社の修理ミスが原因と「自首」しましたが、このことへの「償い」は、「罪人としてのつるし上げ」ではなく、修理マニュアルの徹底見直しでした。
 日本人は、ミスや怠慢を犯したこと自体よりも、その結果(犠牲者の数など)に注目し、直接原因者を厳しく処罰することに執心しがちです。たとえその人を処罰して少しでも溜飲を下げたとしても、また同様のミスは繰り返されます。
 技術士に求められている倫理観は、是正・再発防止を優先する「アメリカ式」であることをよく認識しましょう。

警笛鳴らし(ホイッスル・ブローイング)
 ボイジョリーは本当に「やるだけやった」のでしょうか。彼はこの事実を公表すべきではなかったのでしょうか。すなわち、「警笛鳴らし」(実名での内部告発)という形で彼の立場でやれることがあったのではないでしょうか。
 ディジョージは、内部告発の道徳的正当化の5つの条件をあげています。これは、いわば内部告発チェックリストといえるでしょう。
(1) 一般大衆に深刻かつ相当被害害が及ぶか?
(2) 上司へは報告したか?
(3) 内部的に可能な手段を試みつくしたか?
(4) 自分が正しいことの、合理的で公平な第三者に確信させるだけの証拠はあるか?
(5) 成功する可能性は個人が負うリスクと危険に見合うものか?
 ディジョージによれば、(1)〜(3)が満たされれば内部告発は道徳的に許されます(内部告発してもよい)。さらに、(4)と(5)も満たされれば内部告発は道徳的に義務となります(内部告発すべきである)。
 これに照らせば、(1)〜(3)は実行したと考えてもよさそうです。(4)がちょっとネックですね。ボイジョリーはリスクの定量化ができないでいました。実際、それを理由にメイソン副社長の判断は誤っているとはいえないとする意見もあるのです。さらに、(5)についても確信はもてなかったでしょう。事故後の議会証言でOリングについての彼の意見を会社が尊重しなかったことを明かしたという理由で懲戒処分にされています。
こう考えると、ボイジョリーにはホイッスル・ブローイングを行うことが許されるだけのことをしていたが、それをしなかったからといって非難されるような倫理的状況ではなかったと判断できるでしょう。

よく知らされた上での同意(インフォームドコンセント、公衆)
 チャレンジャー号事件が最もよく引き合いに出されるテーマです。様々なリスクを伴う宇宙船打ち上げにおいて、乗組員は打ち上げに同意するか否かを判断する権利を有しています。
 チャレンジャー号の場合、彼らに伝えられたリスク情報の中に、Oリングに関するリスク情報は含まれていませんでした。すなわち、彼らはわかっている限りのリスクを知らされていたわけではなく、「よく知らされた上での同意」をすることができない立場にいたわけです。技術者倫理において、このような立場を「公衆」といいます。
 そしてこれはインフォームドコンセントの考え方に基づくものです。専門家ではない人たちは、専門家を信じて全てを委ねるのではなく、専門家から十分な情報提供を受けて、自ら最後の決断をすべきであるというのがインフォームドコンセントの考え方であり、それゆえに「よく知らされた上での同意」と訳されています。このことから、インフォームドコンセントが成立するためには、リスクを与える側が十分な説明をする責任(説明責任)を負う必要があることがわかります。